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立川談志と呼び捨てにする

失礼ではない。

手塚治虫と呼び捨てにするはず。

立川談志さんは変。

談志師匠なんてのも馴れ馴れしい。

細かい事ばかり気になる。

気になった事をああだこうだ考えていると、

思ってもみなかった事を思いついたりして困る。

誰かに話してばかりいると、

突然ウンチクとか語りだすウザイオヤジになる。

毎日ストレスが溜まっていく。

オレはそうゆう奴なんだと開き直って

あることないことオープンに喋った時期、

友達と思い込んでた連中は離れていった。

トモダチとかシリアイの好き嫌いの差は

都合が良いか悪いかだけだ。

談志はたぶん、

唸らせたい一言はさらりと流す。

理解されたくないタイプの男だからだ。

スルーされても表情に出さない。

笑点の客を相手にしたこの映像では、

ウケない部分が肝のようだ。

こうやって構えて観るのは無粋な行為か。

うちの親は芸能にあまり感心がなかった。

大衆文化の深い所を教えてくれるような親ではなかった。

大衆文化との接触はテレビ経由だった。

世渡りは一流の二流が上等らしい。

二流が一流を目指すのは浅ましいらしい。

談志が誰かに語っていた。

昭和の本当の凄さは

良く分からないのだが、

なんかしら凄い何かが、

現代と違う感覚に隠れているはず。

文化が違えばどんなに親しんだ所で、

理解なんて出来ない。

ただ単純に面白くないだけと言い切っても、

それはそれでいい。

ただ屈折しているだけなのかもしれないのだから。

単純に談志は客にモテた。

なぜだか会えて嬉しくなる男っているものだ。

談志から何を学べばいいのか。

今、思い付くのは、

会場全体が爆笑するようじゃまだ三流、

そんな感じ。

それにしてもこの映像、

当時の談志は五十二だとか。

五十なんてすぐ手が届いてしまう。

談志みたいな男が最近少ない。

あれは誰に話した言葉だったのだろう。

また探してみよう。

ありがとうございます。