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SF小説「ジャングル・ニップス」 2−8
ジャングル・ニップス 第二章 オン・ザ・ロード
エピソード8 多目的トイレ
多目的トイレと看板に書いてある。
まだ開いていないから奥のお手洗いを使うといいわと、直売所のおネエサンに教えてもらい正解だった。
ショーネンが多目的ってどういう意味だと思っていると、エースケが中から出てきて手を拭き始めた。
「エースケさん。オレさっき、変なもの見ちゃいました。」
烏帽子を付けた白狐と、太鼓を叩く鬼の群れ。ショーネンは言葉にせずにイメージを思い描いた。
エースケが少し驚いている。
「ヤベェなそれ。でもオレもさっき夢でな、」
エースケさんは他人の夢を読むことが出来るのだろうか。
「あ、いや。夢は響いてこない。覗いても断片的なイメージしか見えない。時系列的に動いてないみたいな感覚で、重なってブレる。それとあまり夢は覗きたくない。たいてい車酔いみたいに気分が悪くなんだよな。」
「エースケさんは何を見たんですか?」
首の後ろを手ぬぐいで拭いている。
「ジョーズみたいなのに太ももをガブッてな。足が無くなったと思ったぜ。それでションベンしたくなってここ来たんだよ。」
顔も洗ったようだ。
「せっかく見えてた世界がふっとんじまった。」
エースケがショーネンの肩越しに手を上げて軽く会釈する。
奥にテーブルがあり、こぶとりな爺さんが本を読んでいた。
爺さんも軽く頷く。
「ヤスオさんは、橋の向こうの階段で座ってます。」
目があってしまい、ショーネンも爺さんにお辞儀をすると、爺さんは気づかないフリをして体を少しずらした。
「悪いけどオレ、もうちょっと木陰で涼んでるわ。小銭に持ってるか?」
ショーネンは財布を出し二百円を渡した。
「甘いのちょっとしつこくてな。サンキュ。」
エースケがトコトコと自動販売機に向かっていく。
朝から読書しているあの爺さんの名前を、エースケに聞く余裕は、今のショーネンにはまるでなかった。
夢や幻をハッキリと記憶してしまうと、現実世界での平衡感覚に微妙な乱れが生まれてしまう。
ヤスオさんに言われたように、先にお茶を飲むべきだったかなと、ショーネンは少し後悔した。
トイレは車椅子で利用できるデザインになっていた。
洗面台のゴミ箱の中にスポーツ新聞が刺さっている。
今朝はまだ清掃していないのだろう。
ショーネンはショーベンはせずに顔を洗うことにした。
帽子を足で挟み水をだしたが、ヤッケが邪魔な気がして脱ぐことにした。
後ろポケットから手ぬぐいを出し、帽子とヤッケは壁の手すりに軽く押し込む。
センサーの蛇口だ。水がすぐに止まる。
便利も不便だよなと思ったが、不満を言っても良いことはないというヤスオの口癖を思い出し、ショーネンは苦笑いした。
手ぬぐいを水で濡らして顔を拭く。
気味が悪い風景だったが怖いとは感じなかった。
キツネはオレに気づいていた。
鬼達は小柄だった。
小学生くらいの大きさだったが、ガッシリとした奴らはオレより体重があったかもしれない。
少年野球のユニフォームを着ていた。
10チームくらいに分かれていた。
太鼓を鼓笛隊のように首から下げていたのもいた。
青黒い顔をした鬼たちは怒りとも狂喜ともつかない顔で前へ前へと押しあっていた。
女の鬼たちも混ざっていた。
野球帽は被っていなかった。
違う、少年野球の格好をしていたのはオレだ。
鬼達は半裸で、女鬼はサラシを撒いていた。
ヤンキースの帽子を被ったままではまずい、そんなことをオレは考えていた。
あのキツネはオレが見ているのに気づいて笑った。
マンションのベランダから覗いているオレを見て、まるで良く来たなとでも言うように、長い舌を出して静かに笑った。
巨大な白狐だった。五メートルはありそうだった。
数匹従者もいた。尼僧だとわかった。
十字架らしき何かを首に下げていたはずだ。
盃の酒が美味そうだった。
太鼓の騒音に紛れて、笛のような音、鐘のような音、雅楽のような音色、もっと現代的な音、テクノ、ドラムアンドベースの重低音も響いていた。
色んな音が入り乱れていた。
鬼達は、我を忘れて太鼓の勢いを競い合っていた。
どこの街だろうか。
商店街。
看板の電飾で彩られていた。
ネオンの光。
参道のようにも思える。
もう一度あそこに行きたい。
巨大なエネルギーの中心であのキツネは寛いでいた。
サキさんと離れ離れになった瞬間、絶望的な痛みを感じた気がする。
だが今は彼女に会いたいとは思っていない。
あのキツネにオレを認めさせたい。
あのキツネに認められたい。
そう思っている自分にショーネンはやっと気づいた。
オレは無力だ。
何も出来ない。
キツネはオレを一瞬で噛み殺す。
つづく。
ありがとうございます。