SF小説。「ジャングル・ニップス」第1章、3・4
ジャングル・ニップス 第一章 集合
エピソード3 やんごとなきお方
新聞を眺めてみたが、まったく頭に入ってこなかった。
「こんなに新聞の紙って薄っぺらかったかな。」
ショーネンは新聞紙の感触を指で確認しながら、ヤスオさんがしたように、道路向こうの高圧線の鉄塔に眼を向けている。
鉄塔の隣に、配電ボックスらしき物が数基置かれている。
フェンスで囲まれたその空間の中心に、電信柱より数倍太い柱が一本そびえ立っている。
田舎の消防署の脇に立っている、地域放送の塔に似ているが、その手の塔の二倍はある。
携帯電話の電波塔だ。
「5Gになってもあれは機能するのかな。」
太陽が明るさを増し、すでに早朝ではなく朝になっている。
両手にコーヒーのカップを持って、ヤスオさんが戻ってきた。
「読んだショーネン?ジャングルジャップっていかした店の名前だろ?」
「ジャングルジャップ?」
「ケンゾーが初めて持った店の名前だよ。」
ジャングル・ジャップ。
「ケンゾーさん、けっこうダサかったんすね。」
ショーネンがそう言うと、ヤスオさんはホホホホーッという、いつもの高笑いをしてショーネンの顔を満足そうに眺めた。
ヤスオさんは前世、やんごとなき身分の方であったのだろうとショーネンは思っている。
笑い方は誤魔化せない。
マチコさんの店で飲ませてもらった時、エースケさんにその事を言うと、ああ、絵描きなんて上等な身分の仕事は、やんごとなき魂しか成功出来ない職業だもんな、たぶんそれ当たっているよと、マチコさんが頷くのを確認してから、ショーネンの観察眼をエースケさんは嬉しそうに褒めてくれた。
たしかその後、エースケさんは、日本ではと付け足していたはずだ。
「エースケさん、いっつも遅いっすよね。」
「しょうがないよエースケなんだから。」
タカダ・ケンゾーの店、ジャングル・ジャップス。
ジャップなんて言葉を平気で使う、目先の暗い野郎なんて、もうあまり存在しなくなったはずだ。
戦争映画で使われるジャップって言葉は、日本人でも簡単に気づくが、小4から高2まで西海岸で暮らしたショーネンは、本気で自分を苦い気分にさせる言葉を知っている。
NIPS(ニップス)。
白人のガキ共が日本人ビジネスマンとその家族を影でそう呼んでいたのをよく覚えている。
日本人の女性がクルマの運転に慣れていないことを笑う、”NO NIP DRIVERS(ノー・ニップ・ドライバーズ)" なんて書かれたコッミック・パンクバンドのダサいステッカーまで、90年代始めの西海岸ではまだ流行っていたくらいだ。
スケートボードに貼っている奴らや、クルマのトランクに貼り付けているアホをたまに見かけては気が狂いそうになったのを覚えている。
まだ幼かったショーネンには、ただ恥ずかしくてしょうがなかったのだ。
ニップという響きが、腰抜けその物を表現しているみたいで、どうしても許せなかった。
ジャングル・ニップスね、いいじゃんそれ。なんかいいじゃん。ニッポンのアホパンクバンドにそんなのがありそうじゃんか。
ショーネンが負のエネルギーに呑まれそうになっている自分に気づき、何か良い鼻歌でも探すかと、四つ角の信号に眼をそらして咳払いした。
煙草をもう一箱買っといたほうが良さそうかなと少し考え、後でいいかと、ヤスオさんの表情を確認してからコーヒーをすする。
ジャングル・ニップスってT-シャツをプリントしてみるのもいいかもな。
そう考えたら少し楽になった。
ジャングル・ニップス 第一章 集合
エピソード4 ユニコーン
「さっきライン入れといたし、読んだみたいだから大丈夫でしょう。」
コーヒーを地面にそっと置き、ショーネンは新聞を畳もうとしていたが、ヤスオさんがそう言うと手を止めた。
「記事みつからなかったんですよ。でも新聞って、なんか手に持つだけで気分がいいもんですね。」
新聞を受け取ると、ヤスオさんはファニーパックを少しずらし、スウェットパンツのゴムをポケット代わりにして尻に挟んで、スウェットの上で覆い隠した。
「けっこう、これはこれで便利なんだよな新聞って。」
ヤスオさんは満足そうだ。
「コーヒー旨いっす。」
ショーネンが会釈する。
ローソンのコーヒーは良い。セブンと違ってヒトに淹れてもらえるのがいい。
コーヒーはヒトの手で渡されるとそれだけで味が変わる飲み物だ。
残留思念が抜けにくい波動食の一つで、心の濁った者が淹れると濁った味になる。
煙草と違い磁力は少ないが、コーヒー本来の陰性波動に濁った想念が交じると、身体に想像以上の負担をかけてしまう。
健康を気にしているヒトは、まずいコーヒーは飲まないほうがいい。
穏やかな人達がコーヒーよりお茶を選ぶのはそのためだ。
お茶も波動食ではあるが、お茶はマイナスの波動を中和する性質がある。
苦すぎるお茶をゆっくりと味わうと、背筋が伸び、体がゆったりとリラックスする。
カフェインはお茶にも含まれているが、波動の性質が健康に強く影響するのだ。
毒を抱えていない人達は、あまりコーヒーも煙草も飲み過ぎないほうがいい。
木曜日はノッポの店員のはずだ。
やはり安定した味がする。
アイツは物静かで良い奴だ。
店員はそんな素振りは見せていないが、ホモセクシャルであろうとショーネンは推測している。
スマートな言葉遣いと仕草に少しその気配を感じるせいもあるが、デリケートそうな連中にありがちな弱者の醜さがアイツにはまったくない。
マイノリティー意識に心を潰されないで、涼しい顔で夜間コンビニで働く、正真正銘のユニコーン。そうショーネンは思っている。
虹色の一角獣は、田舎のコンビニで、夜中独り、インベントリーをこなしながら、店内の有線でガムランを聴いているんだ。
「コーヒー、マジ旨いっすよね。」
「ああそうだな。ここのは美味く感じるな。」
ヤスオさんも同意する。
アイスでも買いにいって、ちょっと挨拶してきてもいいなと思ったが、コーヒーを味わうことにして想念で感謝を伝えた。
想念が伝わった感触がホンワカと額に反射してくる。
「ナニ、嬉しそうにニヤけてんのよ、ショーネン氏」
ヤスオさんに突然顔を寄せられショーネンは少し動揺した。
国内外、知る人ぞ知るSFイラストレーターのヤスオさんに、コーヒーを奢って貰ったことを嬉しく感じていることに気づき、はからずも気恥ずかしくなってしまったのだ。
「いえ、ヤスオさん美味そうにコーヒー飲んでるから。」
エンパスのエースケさんが不在である事実にホッとしている。
ヤスオさんはカンがいいが、一般人くらいしか顕在想念を読み取る力をもっていない。
テレパシーと相念聴読はまた違う才能なのだ。
「なんでも言っちゃうから困るんすよ。」
ショーネンは独り言のフリをしてそう呟いた。
「なに?ショーネン。」
言葉に詰まりそうになったが、ショーネンはヤスオさんの眼を見て答えることにした。
「エースケさんがです。」
ああそうか、軽く頷き目線をそらすと、腰のファニーパックのチャックを開き、煙草とライターを取り出した。
ヤスオさんが太陽の高さをチラリと確認している。
つづく。