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ぼくらが旅に出る理由

2017年、パリのモンマルトルの丘にて。パリの街を一望しながら、夕闇が迫りくるのを待つ。背後にはサクレ・クール寺院。絢爛かつ厳かな礼拝の空気感とともに、パリの夕暮れの空が脳裏に焼き付いている。

この旅をしながら、たくさんの音楽を聴いて、たくさんの詩を書いた。一瞬一瞬がかけがえのない時間で「この煌めきを書き留めておかないといけない」と思わずにいられなかった。衝動に駆られるようにたくさん書いて、自らの心をなぞるように触れた。たぶんそれは、過去にさよならを云う旅でもあったから。「本当は分かってる 二度と戻らない美しい日にいると」。

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あれから5年。日本は、夏。わたしはさまざまな旅のことを考える。先週、こんなことを書いた。

どこに行くか、じゃなくて、だれと行くか、なのだなあ。

モンマルトルの丘はひとりだったけれど。友と旅をするというのは、どういうことなんだろう。

どこに行っても虚しいだけなら、どこへも行かなくていいじゃないか。どこに行っても心が揺さぶられるなら、どこにも行かなくていいじゃないか。だれかとどこかに行かなきゃいけないなんて、そんなのは気のせいなんだ。

旅は好き。ポエジーに溢れてて、創作欲に駆られる。それほど幸せなことはない。でも日常の中で同じような瞬間を見つけることもできる。かといって、友と旅に出ても何ひとつ見つけられないこともある。ひとり旅ならこの問いに出会うこともないかもしれなかったけれど、誰かと旅に出るには理由が必要じゃないのか。

ならば旅の理由とは?

案外「旅に出る理由を探すために」ということなのかもしれない。


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