中田英寿 伝説の試合を生で観戦した
初めての海外旅行は2001年5月のGW、イタリアのミラノだった。
それまで海外には一切関心がなく、「日本全土を制覇していないのに海外とは何事ぞ!」というスタンス。
キッカケは当時ハマり出していた海外サッカー。
海外に興味はなかったが、現地で本場のFootballだけは是非観戦してみたいとのことで、3泊5日旅行会社のサッカーツアーに勢いで手配を取った。
インテルvsアタランタ戦、ユベントスvsローマ戦の2試合を滞在3日間で。
チーム的にはバルセロナが好きなのでスペインに行きたかったが、直行便のあるイタリアの方が当時ツアー・バリエーションや費用が好条件で同行者2人と協議の上、上記のカードを選択。
現地へ飛ぶと、日程変更により1日で2試合観戦となる。
初観戦インテルvsアタランタ戦でもいろいろ経験したが、主眼ではないのでここでは省略。
2001年当時、ユベントスのホーム・スタジアムは今は跡形もなくなっている「デッレアルピ」。
バスでスタジアムへ到着すると付近は殺伐とした緊張感でピリピリしている。
セリエA初体験だったインテルホームの「ジュゼッペ・メアッツア」の雰囲気も凄かったが、こちらはさらに輪を掛けてサポーターに力が入っている。——皆顔つきが鋭い。
5月、シーズンも佳境に入った1位・2位の首位決戦。
ツアー予約したときは「好カードだな〜」ぐらいの軽い気持ちで申込。
こんな状況に遭遇できるとは思いもしなかった。
バルサクレなので、どちらかを応援するということはなく、ユベントス・ホームの防御策としてとりあえずデルピエロのバッタユニを購入(ホントはダービッツが欲しかった)。
乾いた喉を潤すため、「ウォーター」が通じない高額な水=アグアを買って客席へ急ぐ。
席へ向かう階段付近は人が群がり中々前へ進めない、この時点で試合中のトイレは断念。
席は前から7列目で凄く近いと思っていたが、そこにはすでにイタリアンおじさんが・・・弱気な僕等は空いていた前方席へ行ってみる。——人がいないはずだ・・・ベンチのせいで座るとピッチが全く見えない。時間もなかったのでその辺で観戦。
メイン・スタンド側はユーベのユニもローマのユニも混在し、少しユベンティーノが多い程度。
発煙筒・その煙・大砲の音・歓声、熱狂度・ピリピリ感・殺伐度どれをとってもいままで経験したことがない!
出はじめたばかりのデジカメが容量の少なくバッテリーが切れ、乾電池を自分の指で逐一充電しながら撮った写真を見直すとテンパッタ自分の顔が写っている・・・
フィールドを見るため、つま先立ちしながらの観戦は体力も視界も不自由はあるが、スタジアム内の臨場感は一番。
中田英寿はベンチスタート。
王子トッティの控えは変わらないが、確か土壇場での外国人枠の一部撤廃や前節の試合で良いアシストをしていたので出番はあると踏んでいた。
前半までローマは不調、2点ビハインド。
後半、中田とアスンソンがウォームアップを開始。
トッティと交代で中田が入ったのは後半早めだったと思う。
一瞬何が起こったのか良く分からなかった。——中田の「よっしゃ〜」ゴール。
メイン・スタンドの一部の観客が踊り跳ね大騒ぎし始める。
まだまだ何かやってくれそうな期待感がさらに加速すると、同じようなシチュエーションからまた中田のミドル・シュート。——一瞬こちら側からは直接入った様に見えたが、GKファン・デル・サールの跳ね返りをモンテッラが捕えたゴールだった。
すっ転びながら、パンツを見せながら空いている客席を走り回り、抱き合い跳ねる観客たち。——とんでもない瞬間に立ち会っていることをまざまざと感じる。
結果はこのまま2-2で終了、このローマ優勝のシーズンで一番重要だった試合。
そして“中田が一番輝いた”伝説の試合。(翌日のガゼッタ・デロ・スポルト紙はモンテッラの取り上げ方も大きかったが・・・)
https://www.youtube.com/watch?v=64saZjxuWjs&t=132s
終了後のスタジアム外ではロマニスタの歓喜&歓喜、日本人を見つけて「Nakata!」と近寄ってくるが、こちらはデルピエロ・ユニを羽織っている——すぐに遠ざかって行く。(両チーム買っておくべきだった!)
エネルギーを使い果たした様で、この日の記憶はここで途切れている。
あれ以来、何回もサッカーの試合観戦をしているが、この“とんでもない雰囲気”は形を変えて街全体を巻き込むというテンションの1試合(今後公開予定)を除き、未だ感じた事はない。
帰国後、翌々週だかにコンフェデレーションズ・カップ決勝の日本vsフランスを日産スタジアムに見に行き、「イタリア組3人=無反応・ノンイタリア1人=大興奮」がデッレアルピでの出来事を見事に物語っている。
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