時間が解決してくれないこと
Sのお墓参りに行ってきた
私の人生が小説という舞台だとしたら、絶対に必要な登場人物だ。
彼のことはこちらに書いている。
お墓参りのことはこちらに。
2018年に文字通り急逝したS。
彼らしい誰にも迷惑をかけないさっぱりとした逝き方だった。
Sのお母様はとてもお元気で、
『私は子供の世話にはなりたくない。』とおっしゃる。
そう言われたら、ちょっと我が母が可哀想になる。
彼女も元気な頃はそう言っていたが、病気のせいかもう元気な頃の母は別人で、きっとそんな矜持を持っていたことも忘れてしまったようだ。
ともあれ、この連休を使い、一泊してSのお墓参りをしてきた。
解剖
一瞬にしてこちらからあちらの世界に逝った彼。
自宅で亡くなったので解剖がいるという知識はあったが私は絶対に嫌だった。
亡くなる直前まで、来週会う約束のことを話していたし、その前に登る山の靴も買っていたし、自ら命を絶つという行為は、彼から一番遠いことだと思った。
病院嫌いな私故、こんな理由で病院に行くのは余計に気が進まないし、解剖したところでSが戻るわけでもない。
理由は要らなかった。
外傷も何にもないから病死なのは明らかだ。
絶対そうなのに、なぜ彼の体を切らないといけないのか本当に嫌悪感でいっぱいだった。
しかし、仕方がない。
ものすごく嫌だったが解剖することになった。
先生は、『解剖して原因が分かると楽になるんです。』とか何とかおっしゃるが、全く心に響かなかった。
が、確かに結果を聞いて少しだけ、ほんの少しだけ救われた。
Sをあちらに連れて行った憎き病気は、『腹部大動脈解離』だった。
先生は『一気にきれいに裂けてしまって、一瞬で、全く苦しまなかったと思います。だから顔も安らかで穏やかでしょう。ご家族も間に合わなかった、何かできたということはなかったんです。』とおっしゃった。
確かに眠るような穏やかな顔をしていた。
それを聞いて、Sが苦しまなかったのなら本当に良かった。
そう無理矢理自分を納得させた。
急逝と長患い
ある日突然大切な人がいなくなること
大切な人が死んでいく時間を分かって共に過ごすこと
どちらが辛いのか、当時よく考えた。
もうSはいないから、そんなことを考えても仕方ないのに。
どちらも辛いし選べない。
でも、心の準備ができる点は、突然死より長患いの方がちょっぴりマシかもしれない。
正確には、心の準備はどれだけ時間ぎあってもできるとは限らない。
しかし、いきなり居なくなる恐怖感はないという点でちょっぴりマシだ。
時間が解決する
この言葉が、人の死に関しては嘘だと思うようになった。
少なくとも私にとっては。
でも配偶者を早く亡くした私の親友も分かってくれた。
『解決しないよね』って。
少なくとも私にはこの言葉は辛いものだった。
時間が解決するはずがない!
そう思って、その言葉を聞くと、
心の中がぎゅーっと痛くなった。
時間が経てば経つほど、Sの不在の時間が長くなり、やがて一緒に過ごした時間を超えてしまうかもしれない。
そんなことも嫌だった。
そして、日常に忙殺されて、時間というものが積み重なって、Sとの時間が風化されそうなのも怖かった。
それを解決するというならば、私にとっては『否』だ。
だから、これから、、、
大切な人を亡くした人に私はこの言葉は使いたくない。
かける言葉は見当たらない。
その人その人に異なるいろいろな想いがあるから、何を伝えても辛くさせてしまいそうなのが怖い。
時間はその人の死のショック記憶を少しずつ少しずつ和らげてはくれるかもしれないが、その人の不在を悲しむ気持ちを解決はしてくれない。
もちろん、私は毎日彼の死を悲観して泣き暮らしてはいない。
ただそれは解決したこととは違うのだ。
Sが亡くなってから6回目の夏。
まだ気を許すと涙が出てくる瞬間がある。
それが電車の中だったりするととても困る。
心の傷を磨く旅はまだ続く。
注)『心の傷を磨く旅』とは、
Sが急逝した当時にいろいろ読んだときに出会った以下のブログで知った事。