自分年表Ⅱ(自己紹介)
1970年代〜1990年代はこちら。
2000年代(平成)
世紀末になるといろんな予言が出てくる。
この時はノストラダムスの予言があった。
子供の頃ガソリンがなくなると習ったけど、ガソリンは枯渇することはなく、普通にまだ使えていた。
相変わらず同じ会社で働き、毎日残業、1日ほとんど会社に費やしていた。
飲み会や、気の合う同僚との飲みも多かった。
たいてい残業の後からだから開始も遅かった。
今では考えられない。
あの頃使った飲み代、貯金していたらすごい額になっただろう。
とにかく平日は仕事ばかりしていた。
プライベートは美味しいものを食べに行ったり、美術館に行ったり、山登りをしたり、ドライブしたりと仕事疲れでダウンしてない時はそれなりに出かけていた。
2010年〜2020年(平成・令和)
この前の年。
2009年に会社は変わらないが、働き方を変えた。
地元を離れて仕事をすることになった。
この2009年から今日までは激動だった。
住む場所も北は北海道、南は鹿児島まで。
首都圏しか住んだことがなかったので、不安はあったが何とかなった。
それまでの人生が平坦だったなぁと思うほどいろんな経験をしたと思う。
どの土地も素晴らしく、素敵なご縁にも恵まれた。感謝。
仕事自体は悩んだ。
向いていないと思い悩み、転職した方が良いのか悩み、他にも諸々悩み多き年代だった。
結局仕事の忙しさを理由に(かなりの長時間労働だった)、悩みを先送りしてしまって今に至る。
2018年
この年は自分年表で括り出しておきたい。
自分の半分をもぎとられるような出来事が起きたからだ。
そのことはこの記事に書いた。
自分のとても大切な人が、
突然この世からいなくなることなんて
そんなことが自分の身に起きるなど、
想像だにしていなかった。
この辛い経験を人に話した時、
驚いたことに、何人もいたのだ。
しかも、もっと若い時に経験した人達が。
でも、そんなことは普段感じさせずに皆んな生きていた。
それがとても救いになった。
今はとても無理で、この暗澹たる暗い世界から抜け出せない、と思っていても、そのうち何とかなるのだ。
そう思うことはできた。
どんなに仕事がきつくても、メンタルにはならない!と思っていたが、
この時は『喪失による鬱』になったらどうしようかと思った。
結局はそんなことにはならず、日常を送っている。
時々、訃報を聞いた時の気持ちが甦り、心臓をギューッと掴まれるように恐ろしかったり、美術館で2人で絵を見ている人を見ると、『私の隣にもいつもいてくれたのに』と悲しくなる。
でも。彼の存在は忘れない。
私が忘れなければ、彼は生きている。
姿形はなくても。
2022年〜そして今
私は久しぶりに地元に戻った。
母の介護のために。
家族の誰もが、母がこうなるとは予想だにしていなかった。
いつも元気で明るく、そしてなんでも知っている私にとってはいつまでも超えられない存在だった。
そんな母が今、だんだんと小さくなり、心もとなくなっている。
それを見るのも辛くて悲しい。
でも、一緒に暮らせるだけでもありがたい。
1日でも長く過ごせるように。
ここから先の年表がどうなるのか。
人生のシナリオは決まっているらしいけれど、幸せだといい。
漠然とした年表だから、伝わらないかもしれない。
年表はまだまだ続く(はず)。
人の数だけある自分年表。
開示しなくても、細かいのを作ってみると楽しいかもしれない。
(美術館でよくある画家の生涯の年表みたいなの)
皆様の年表も読んでみたい。