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『ありがとう』とタオルたたみと母(介護)


こちらのnoteを読んだ。

『ありがとう』をあまり言わない親



自分で出来ることが少なくなってくると役割がなくなっていきます。
そうすると誰かの助けが必要になるので「ありがとう」と言わないといけなくなります。

そして「ありがとう」から「死にたい」という言葉に変わっていきます。
「誰かの世話になるくらいなら死んだ方がいい」という思考になります。
上記noteより抜粋

母が私にあまり『ありがとう』を言わないことが気になっていた。
何故だろう?と思っていた。
病気のせいもあるらしい。

うちの両親はあまり言わないと思う。

言われないからやらない訳ではないがやっぱりモヤモヤする。

父に何かを買っても、母に何かを買ってもその場で『ありがとう』を言わない気がする。

想像するに、無意識に『当たり前』
『別に頼んでない』と思っているのかもしれない。
あと、『素直じゃない』『プライド』などもあるのだと思う。

最近は慣れた。

私が親の世話をするのは、当たり前と言えば当たり前。
(『ありがとう』以前のマターと思えばモヤモヤしない。)

(昨日産業ケアマネジャーさんと面談があり、そこでも話題にはなったのだが、厳密に言えば、当たり前でもない。
親の世話をする、他人に委ねる、どちらがいい悪いはないのだ。)

私がしたいから、している。
そう考えたら、『ありがとう』があってもなくてもどうでもいいのだ。

ただ『ありがとう』が言えない人が親って嫌だなと感じているんだと思う。

小林正観さんの『ありがとう』理論に出会ったが故に『ありがとう』『感謝』を以前にも増して大事にしたくなっているから、余計に気になるのだと思う。

『ありがとう』と言わせない介護

先のnoteにはタオル畳みの話があった。

配属先の施設では「洗濯物を畳むのは利用者さんにやってもらう」ようにしています。
そうすると…

介護士「洗濯物畳みお願いしまーす」
利用者「いいよー」
利用者「畳めたよー」
介護士「ありがとうございます!」←ココ‼︎
よしよし@介護士さんのnoteより

これはどこの施設でも行われているらしい。

母のデイサービスでもあるのだが、そのためだったの?

リハビリのためかと思っていた。

そして、我が母に関しては申し訳ないが効果ゼロ!

タオル畳みは嫌いなのだ。
そしてある時は、
『施設の人が忙しいから私やもっと大変な人にタオルを畳ませるのよ。』と私に訴えた(苦笑)。

私の意見としては、
『年老いてまで嫌いなことはしなくていい』ので、母がタオル畳みが嫌いならやらなくていい。

今まで散々やってきて、やりたくないんだろう。
まあ、多分私もやりたくない。

だから、しなくていい。
施設の方にも母が嫌ならやらせなくていいとお願いした。

ただでさえ、デイサービスに行くのだって最初は嫌がっていたのだ。

ショートステイから戻ってきても、
『夜が怖いの』
『行きたくないの』
と言っており、可哀想になってしまった。

やはり今は一晩が限界。

彼女にとっては、きっと日々精一杯で『ありがとう』どころではないんだろう。

そのままでいい。
ありのままでいい。

母が言わない分、私がたくさん言おう。

そんな風に思うこの頃。

読んでくださり、ありがとうございました🙏

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