傷つくこと、傷つけられること
頼んでもいないのに、この方の続報もなぜか通知がくる。
ニュースの通知だから、この話題が旬なのだろうか。
Xからも通知が来た。
この反応がまたいろいろ。
・干された側だから、おやすみという表現はおかしい
・貼り付けないで文字を打て
反省と分かっているのか
・事務所が代筆しているのでは?
単純な私はこのリプを見るまで何とも思わなかったが、なるほどなぁ、いろんな反応があるのだなあと改めて思う。
いずれにしても、覆水盆に返らず。
この言葉が頭をよぎる。
私が母を転ばせた時も思った。
後悔先に立たず
覆水盆に返らず
後の祭り
破鏡再び照らさず
これらの諺ができたということは、昔からこういう思いをしてきた人は多々いたということだ。
一度起きてしまったことは、取り返せない。時間は巻き戻せない。
人間だから間違いもある。
機械だって誤作動はある。
とすれば、起きたことを悔やむより、これからどうするか?
に力を注いだほうがいい。よく言われていることだと思う。
と思うんだけれど。
そうすぐに歩き出せない問題もあるのだろう。
起きてしまった出来事にもよる。
今回のこの問題、とてもとても悩ましいなと思った。
彼女のことは苦手だし、正直に言えば私の人生に関係はないし、どうこう言える立場にもないのだけれど、
彼女がしでかしてしまった失態。
これに対する対応もまた難しいものだ。
何人かの友達とちょっと話題になったけれど、それぞれに意見を持っている。全く一致というのもない。
人の前に出る仕事だから影響も大きいし、使ったらいけない言葉も放ってしまったし。
一方で、そんな言葉は人に対していうべきではないという大前提はありながらも、
言われた方がどうあるべきだったのか?どうしたらよかったのか?
を考えるとまた難しい。
やす子さんの立場では、何が正解なんだろう。
容認する対応をしても叩かれそうだが、逆も難しい。
失態を犯してしまった人をどこまで詰める必要があるのか、そんな権利が第三者にあるのか。
今回の件も、彼女の失言(よくはないけれど)をどこまで真に受ける?
という見方も一つあるのかなと思った。
(擁護するわけではない、念の為)
いちいち、他人の言葉に100%反応していたら身がもたない。
言葉の持つ力に対して、各々バリアを張って自分を守ることも必要なのかもと思う。
他人の言葉はコントロールできない。
だとしたら自分が自分を防御するしかない。
マイナスな言葉
ネガティブな言葉
を投げられた時に、普通は傷つくと思う。
言われて、「楽しい〜、ありがとう!」って人はあまりいないと思う。
ただその「傷ついた」気持ちをどうするか?
対応する力も必要。
真正面から、ドーンと受け止めたら傷は深くなる。
ヒョイっと身軽にかわせたら、傷は受けない。
(かわしたそれが誰かに当たったら困るけれど💦)
しなやかに、柳のように。
そして「君子危うきに近寄らず」。
最初からそういう言葉を発しそうな人々には近づかない。
自らわざわざ地雷を踏みにいく必要はないのだ。
自分を安全地帯に置いておくことも大事。
やす子さんが、反応しないで、かわしたらどうだったのか?
世間はどう反応するのだろうか。
最近は、◯◯ハラスメント問題もある。
新人含め職場の指導が難しいと聞く。
昭和のやり方が通用しない令和。
自分がされて嫌なことはしないと心がけて対応しても難しい。
だって、昭和人が耐えられる世界と平成人が大丈夫な世界がもはや違っているんだから。
もっと言えば、昭和だとか平成だとか令和だとか確かに時代により形成される価値観は一定程度あるにしても、個々人によって、許容範囲は異なる。
昭和の塊の中にもまた違いはあるのだ。
どんな時代でも、どんな手段でも、人は傷つくときは傷つく。
傷ついた時、どうするのか。
私は、「傷ついた」ってあまり自分には使いたくない。
極論すれば、私が勝手に傷ついただけなのかもしれないから。
同じことが起きても傷つく人と傷つかない人もいる。
でも言わないとまた同じことをされるかもしれない。
だとすると、第三者にではなく当事者に「私はこういうことを言われたら嫌だから、もうしないで」っていうのがいいのだろうか?
それかその人から離れるのか・・・。
ケースバイケースだろうから今考えても仕方ないかも。
そして、自分以外の誰かを傷つけたくはない。
となると、相手の人となりとか考え方とかを正しく理解して尊重するということをしていかないといけない。
こう言葉にしてみると、非常に難しい気がしてくる。
難しいことなのに、普段気軽に言葉を発していないか、心配になる。
結論はない。
フワちゃんのしたことは、叩かれても仕方がないとは思うけれど、再起不能になるまで追い詰めていいのだろうか。
私が彼女の親だったらどう思うだろうか。
再び彼女をテレビで見たいとは思ってないから、(もともと見たくはなかったし)それが世間の判断だったら仕方ないのだろうか?
他人と100%誤解なく分かり合えるなんてことはない。
違う人間だから、むしろ1ミリの狂いもなく同じことを思うなんて無理だろう。
そこに期待してはいけないと思っている。
だから、
意見の相違はあって当たり前。
表現の方法が異なるのも当たり前。
受け止め方が異なるのも当たり前。
フワちゃんのことを擁護するみたいな意見もあって、最初はびっくりしたけれど、彼女も1人の人間でミスをしたからと言って、再起不能になるまで叩きのめしていいのだろうか?
あの発言をスルーして放置するのも、自分を守る力になり得ると思った。
『気にしてません』
とか
『あなたに言われて◯ぬ必要はありません』
とか言い返そうと思えばいくらでも返せるだろうけれどそれだと喧嘩になるし。
正解はないから、どうすべきだったかも人それぞれの形があると思う。
どうすべきか?というべき論ではなく、どうしたら心がザワザワしないか、正解というよりは、落とし所?
それは人それぞれだから万人が納得するのは難しい。
だから、大勢で(それもどのくらいかよく見えない)特定の人が叩かれる今の世界は怖い。
公の場に立って仕事をする人は、特に大変だと思う。
インターネットのおかげで、
テクノロジーの進化で、
便利にはなったけれど、不自由になったことも多い。
昔なら今みたいにずっと世界が動いていなかった。
仕事も区切りがついた。
今は携帯、タブレット、ノートパソコンと仕事が常に傍にある感じ。
テレビとラジオと新聞くらいの情報化社会はもっと狭かった。
見えなくてもいいこともあった。
今は詳らかに明らかにされるいつもオープンな世界。
見えない部分、知り得ない部分がある世界の方が楽だったのではないかな。
今回の件だって、SNSがなかったら発生しなかった。
テレビで失言てことにはなったかもしれないけれど。
私みたいにテレビをほとんど見ない人は知らないで終わったことかもしれない。
とりとめがないので、久しぶりに2人の課長にお任せする。
フワちゃんの失態自体は、冷たいかもしれないが、私にはどうでもいいことだ。
ただこの事柄について、いろいろ考えていたら、ぐるぐるしてしまった。