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嗚呼、懐かしのひとり時間


『願い』って叶うと思う。
ただ、正確に願わないといけない。

ある時期、長時間労働で疲れ果てていた時、
『メンタルや癌には絶対ならない!』と思っていた、と同時に『何にもしたくない!』と思い続けていたら、
確かにメンタルや癌にはならなかったが会社を休むことになり、
確かに何にもできなくなった。

あの時の正解は、『健康な状態で好きなことを自由にしたい。経済的にも不自由なく。』だった。


そして、その後『ひとり暮らしは十分満喫した。』と思っていたら、
親の介護でひとり暮らしは終了した。

この時の正解は、
『家族は健康で、親の近くに住みたい。』とか『パートナーと一緒に暮らしたい。』だった。

ともかく。
最近『ひとり時間』が懐かしい。

タイトル画像は、サン・ルイのカタログ


2018年の秋。
こんな『ひとり時間』を満喫していたのだ。

銀座のエルメスの2階にカフェがあり、(そこのキャビアが美味しいのだけれどコロナの後すっかり雰囲気も変わってしまった)その手前にサン・ルイのグラスがあったのだ。
今はもうない。

一つ一つ手作りのグラス。
いろいろあったけれど、ツイストのシリーズを買った。

仕事が忙しくて、体調はくたびれモードだったが、買ったワイングラスを試したくて、飲み比べ。

今の私にはこの時間はないし、
これらのグラスも自宅マンションに箱に入れられて眠っている。

当時は、赴任先にも友達はできて、完全孤独というわけではなかったけれどやはり地元ではないし、仕事も忙しかったから、週末は『ひとり時間』が多かった。

今、たまに、お気に入りのグラスでシャンパーニュやワインを飲みたいと思う。

実家にも開けていない廃番となったバカラのグラスはあるのだが、割られたくないから開けていない。
(すでに家族に複数回割られたのだ。廃番じゃなかったら使うのだがこれは私がゆっくりそのうち使うために今は温存している。)

鹿児島で出会った薩摩切子や薩摩焼もここでは日の目を見ていない。

本当は私の食器棚を買うか何かすればいいのだろうが、大きな家具は増やしたくない。

私の自宅にもあるのだから。

『ひとり時間』も欲しい。

が、ここは正確に願わないと危険だ。
親が逝ってしまっては困る。
もっと一緒に過ごしたいから。

『母が今より悪くならず、父が今の健康を維持して、弟も病気や怪我をせず穏やかな日常を家族が過ごせるように。』

私の『ひとり時間』はなんとか捻出する。

お気に入りの器やグラスは、、、
今しばらくお預けだろうか。

そのうち年老いたら、そんな情熱も薄れそう。
本当は先送りしたくはない。
今、使いたい。

悩ましい。。。

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