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最上でなく、最もラッキーになれる場所を目指すべき、という話

2月からフロリダに来ています。@satoshi_gfa18です。

さて、人生やプロジェクト、個人の趣味でもどんなことにおいてでも、常に、最上、最高を目指していることはないだろうか。

もちろんそれは素晴らしいことで、価値があることである。そうすべきケースももちろんたくさんあり、そのことをとやかく言うことを目的としたnoteでない。

しかし、最上を目指し過ぎることは、時に良い結果を生まないことがある。力を入れるべきポイントが違う、といった場合である。こと自分が身を置く環境においてはよくある話だと思う。


私は半年前、2018年の9月にもフロリダを訪れていた。このことは、その時にお会いしたHさんからお聞きしたことを自分なりに解釈したことである。

当時、Hさんには、アメリカでどうすれば生き残っていけるか、相談をさせていただいた。LAからニューヨークへ行く予定の途中、フロリダに立ち寄り、お会いさせていただいたのである。

その時のツイートの一部が以下である。

ちょうどこの1〜4つが、Hさんがおっしゃっていたことであった。1つ目と2つ目は私なりの解釈が入っており、5つ目以降は他の方から聞いたことである。

ステーキをご馳走になりながら、色々とお話しをさせていただいたのだが、この4つ目と、良い奥さんを早期に見つけるべき(3つ目)が、最も印象に残っていたことであった。


さて、話を本題に戻そう。

この「ラッキーになれる場所にいけ」という言葉は、文字通り、今いる世界でトップを目指す、という話ではなく、自分が活躍できる場所、自分にとってラッキーになれる場所にいけ、ということである。

なるほど、これはマーケティングなどでいう、差別化戦略などでも同じことが言えるのだろう。


Hさんは、単純に挑み、生き残れるほどアメリカは甘くないのだから、自分の学歴・経歴、能力(日本人として、国際人として)などを最大限活かして、自分がラッキーになれる形で、最も良い選択をすべき、とおっしゃっていた。

私は当時、MBAや現地起業を検討していたのだが、確かにそのプランは、短期的にアメリカでやりたいことをできるのかもしれないが、中長期的には、自分がやりたいことができなそうで、勝ち目がなさそうなハードゲームであることが予想された。(もちろんそれを取る選択もありだとは思う)

詳細は割愛するが、自分がどのような選択をすべきか、その時に自分がもちうるカード、また取得できうるカードから探したところ、当時はそれがベストではないと私は考えた。(また状況は日々変化しているが)

なお、Hさん自身がこのことについては、ご自身のツイッターなどでよく触れらているので、ぜひ実際のところはそちらを見ていただきたい。


同じ様な例を、社会人4年目の時に聞いたことがある。今度はフロリダから移動して、2014年の錦糸町である。

私は上司と2人でランチを食べていた。前提であるが、当時の私は、日本国内のシステム企業に勤めており、エンジニアを経てセールスを担当していた。

韓国料理を食べながら、上司がふとこんなことを言っていた。

上司「私は実は元々、ITやシステムの人間ではなく、ぶっちゃけよくわからん」

私「えっ!」

これはとても驚きであった。決して悪い意味で捉えて欲しくないのだが、上司は大企業の部長で、頭もめちゃめちゃ切れ、海外にも数年駐在歴があり、MBAも持っているような凄い方であり、私はこの方の下で働けることもとてもありがたく思っていた方だ。


上司「私は、元々自動車メーカーで働いていて、10年くらい働き、そこから転職してきた。その環境では上に行くことは難しい気がしていたが、自動車業界の業務に関して理解していることが、この業界(IT業界)ではとても重宝されることに気づいた。」


これは物凄く賢いというのか、素晴らしい決断だと思った。システム開発においては、クライアント企業の業務理解が何より大切になるため、それを知っていることはこの業界では代えがたい競争優位になる、ということだ。


上司「もし、小野寺くんが将来、わからないけど、転職したりすることがあれば、自分がその環境で重宝されるような存在になれるところに行くといいよ。」

4年半の時を経て、同じことをフロリダで聞いたわけだ。


誤解なきようにいうと、その方は入社後にIT技術に関することも猛勉強して習得されており、ベースとなることは当然に抑えられていた。


また、最後にもう一つ。私の経験でも、同じようなことがあった。

私は27歳の時に、アメリカ駐在をさせていただいている。私が凄いなどと言っているつもりはまったくないのだが、これは比較的異例の話であり、色々とラッキーが重なった結果である。

ラッキーとは本当のラッキーと、このnoteで述べてきたようなラッキーの2種類がある。

前者に関しては、アメリカ駐在の案件などほとんどないのだが、たまたま一つ案件が所属部署で出ていたこと。もう一つが、他の後任の内定が決まっていたが(それも私より10個程度上のバリバリの課長代理であった)、その方が結婚や奥さんのご懐妊などで突如赴任できなくなったことである。

これはラッキーとしかいいようがない。


ただ、本noteで書いてきたような差別化としてのラッキーがあったことも事実だ。思い当たるものが3つある。

1つ目に、英語力である。当時の私はTOEICに関しては900超で、こと言語に関しては、人事的にも部署的にも、「海外に送り出せそう」な状態ではあった。そして私がいた企業は大きな組織であったが、海外志向の人間が少なく、海外に精通していそうな人も少なかったことが挙げられる。特に私の部署はその傾向があり、私は翻訳などの仕事は、案件の垣根を超えて巻取り、やらせていただいていた。

これが海外経験豊富な人材の多い、総合商社やメーカー・金融などであれば、私の英語スキルなど平均的なものくらいで、特に目立ったことではないだろう。


2つ目に、業務要件である。アメリカの案件がある業務系システム導入に関するものが業務に該当していたのであるが、私はこれに限りなく近いことを前部署でやっていたのだ。これは、前の部署からすると、物凄く普通なことであるのだが、異動後の部署では誰もいなかった。この一年前に突然の異動を言い渡され、泣きながら先輩と朝まで飲み明かしたこともあったが、幸運にも、異動後の部署で、前部署の経験が活きることになった。

(ちなみに前述の上司とランチした1週間後に、異動を言い渡されていた笑)


3つ目に、年齢である。私のエンジニア・PMの経験など、当時たかだか5年働いただけで、優秀な諸先輩には到底及ぶレベルではなかった。私の前任者はそれこそ、私の一回り上で、40代既婚の子持ちの方であった。それに対し、私は27歳の独身である。

単純に言うと、私一人のコストは半分であったのだ。自社の販管費などでなく、お客様から給料をいただいていたプロジェクトであったため、コストは特に大きい。自分はコストが安い点が強みです、などとはもちろん言うつもりはないが、冷静に見ると、これも一つ部署の中で見たら、自分にとってはラッキーなことであったのである。

(もっとも、コストだけで自分が選出されたなどとは思いたくなかったので、成果を上げるべく猛烈に働き、最後にお客様や上司から掛けてもらった言葉は、飛び上がるほど嬉しいものではあった)


このように、自分が身を置いている環境で、自分自身の強みや経験がどのように活きるかはとても大切なことで、これを活かさない手はないのである。


ラッキーな場所に身を置く。フロリダでアメリカの大先輩から聞いたことは、その方のご活躍がこのことを証明されており、私も自分の些細な経験からも、これは引き続き忘れないようにしたい言葉である。

お読みいいただき、ありがとうございました。

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