自己紹介について
近年のSNSにおいて、人々は得てして自分自身をさらけ出す。自らの出自を語り、自らの性格を語る。本来他人であったはずのインターネットの人々の情報が、自己紹介により具体化する。それにより他者に過ぎなかった人々を身近な存在と感じさせ、現実の友人関係と同様の繋がりを与えてくれる。
そのような自己紹介の役割に対して、孤立化する現代人の姿が浮かぶ。SNSが発達した現代において、孤立せずに過ごすことは難しい。この原因には、都心に人々が集まり、地縁血縁の関わりが減り、地域交流が絶たれたということもあるが、周りの人に対する心の距離が離れていることがある。学校や会社の仲間に対してさえも、自分自身の趣味趣向を赤裸々に明かす事ができない人が増えた。かつては学校の放課後に野球をしたり遊びに行ったりして仲間と交流を深めていたのに対し、現代ではコンピュータを前に1人で遊ぶようになった。結果として、現実の仲間や友達と遊ぶことが少なくなり、インターネットにその相手を求めた。
インターネットには多様な背景を持つ人々がいる。年齢、性別、出身、家庭環境、学歴・職歴等枚挙にいとまがない。だからこそ、自分と迎合する人がいる可能性を信じて自分を公開する。自分自身のバックグラウンドに共感し、自分自身と親しくなれ得る人々を求める。ここで注意するべき事は、インターネットで出会った気の合う相手というのは、一面的な姿しか見えない所から始まるという事である。例えば、自分の趣味に関わる界隈に属する時に出会う相手は、同じ趣味を持つ共通点から親近感を覚えるものの、他の側面について馬が合うかは分からない。1つの面で共通点があるために、他の側面を見ることなく過ごす事が可能になる。学校や職場でも出身や学歴・職歴等が近い人が集団となっていくるが、対面である場合1つの側面のみで会話をすることは稀であるため、友達を得る際には複数の側面から相手を捉える。また、一面的な姿しか見えない相手の場合、危険な思想を持つ事に気付けない場合がある事に注意が必要だ。
このように考えると、自分を認めてくれる人を求めるために行う昨今のSNSでは、親友にまで発展する事は難しい。結局の所、現実で友達を得る時と同じような過程を踏むことで、相手を知り、相手に心を許せるようになる。しかし、SNS社会における友人関係には、そのような過程を踏まないライトな友人関係も存在し、お互いを配慮しつつ、現実で関わるには困難なほど多くの人々と関わる事がある。SNSで居場所があるという事は、友人関係より遥かに希薄な関係を広げる事であり、そこでは一対一の関係ではなく、一対多、多対多の関係となる。現実では作られないこの関係は、インターネットの匿名性によるものである。