【自己紹介】
はじめまして!
渡邊祐太というものです!!
いまさらですが、noteに初投稿ですw
■簡単なプロフィール
・兵庫県明石市、在住
・1987年3月生まれ
・西野亮廣エンタメ研究所メンバー
・慎重な性格(ストレングスファインダーでも証明されました)
・2019年の年末にバツイチになってから、自分の生き方を模索中
・バンドでベース弾いてます(邦楽ロック好き)
・環境計量士って資格持ってます
・「あなたは丸い水晶のような人。何色にも染まらないし、誰とでも合わせることができる」 と、言われたのできっとそうなんだと思っています。
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ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
せっかくなので、ここからは自分の半生を振り返ってみたいと思います。
#割と本音を書いたよ
#長文ですみません
#お時間ある方推奨
なんでこんな性格になったか?とか、
なんで行動的になったか?とかが、
少しでも伝わったり、共感していただけたりしたら、嬉しいです。
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■幼少期〜中学生くらいまで
親の転勤により、引越しが多かったです。
幼馴染という存在に憧れてました。
和歌山:幼稚園
神奈川:小学校低学年
京都 :小学校高学年~高校
引越しが多かったためか、環境が変わることには慣れてます。
でも、コミュ力は付かなかったので、
自分の本音は出せず、モジモジしてるような子供でした。
小学5年生の時に、関東から京都のド田舎に引越したときは、
イジメの対象になりました。
#イジメはダメゼッタイ
両親の仲が良くなかったのも相まって、
このころから中学3年の途中までは、
生きてて楽しくなかったです。
#今は楽しいよ
子供は親を選べないし、人を頼ることも、
頼る人の見つけ方も分からないので、
今思い返しても、よく精神崩壊しなかったなと思います。
■楽しかった高校時代
中3の夏くらいに部活(バスケ部)を引退してからは、
「こんな奴らと同じ高校には行きたくない」と心に誓い、塾に通いました。
結果、塾で知り合った友達とカラオケしかしてませんでしたが、
無事志望通りの洛北高校の理数クラスに合格しました。
#中学までは勉強できた
スラムダンクの三井に憧れてバスケを続けてましたが、
高校に入ってからはしんどくなって辞めました。
バスケ部をやめた後、バドミントン部に入りました。
#本当は軽音楽部に入りたかった
同い年の友達がなぜか実家近くで一人暮らししてたので、
朝までドカポンや桃鉄したりして、入り浸ってました。
高2のときは最高に楽しかったです。
高3になって部活を引退してからは、
「一人暮らしをしたい(家を出たい)」という理由で、
県外の大学をターゲットに勉強してました。
■これまた楽しかった大学時代
現役合格+国公立しか行かせない、という親プレッシャーがあったので、
アンパイをとって地方の大学へ。
親とも顔を合わせることのない一人暮らしは、
控えめに言って最高でした。
大学生のときは、酷いときは半年に1回くらいしか親に連絡してませんでした。
#ごめんね
福井の大学では、生物化学を勉強してました。
#研究室ではキノコを育ててたよ
入学後すぐ、ずっとやりたかった軽音サークルに入りました。
18歳頃からベースを始めて、今も細々と活動しています。
同期にも恵まれ、今も繋がってる数少ない友達に出会えました。
大学院も含めての福井の6年間は、
人生の中でも良い思い出です。
■期待と不安の社会人生活
就活が始まる直前に、リーマンショックがありました。
「自分はなにがやりたいのか?」など、
大切なことに向き合ってなかったこともあり、就活は難航しました。
今思えば、大学を決めるときも、会社を決めるときも、
「○○がやりたいから!」みたいな明確な意思はありませんでした。
流れに乗って、決められたレールの上を走っていることを疑わず、
リスクはとらず、アンパイを選んできました。
「失敗はしたくない」、と。
これが、後々自分を苦しめていきました。
そんなこんなで、大阪にある財団法人で働くことになりました。
#財団法人ってなに
会社は、「繊維製品(服とか)などの第三者試験機関」で、
要はアパレル会社の品質管理を専門でやるところでした。
このころから「分析化学」の分野で仕事をしているので、
なにかに活かすことができればなーと思っています。
#白衣着て仕事してたよ
ここでも同期に恵まれて、転職した今でも繋がりがあります。感謝。
■結婚と出産
社会人2年目くらいから、バンドをしたくなり、
社会人の軽音サークルに入りました。
たまにライブもしますが、メインは飲み会です。笑
そこで出会った歳下の彼女と、結婚することになります。
2016年くらいだっけか。
元々、転勤したくなかったり、朝が激弱だったため少しでも開始時間が遅いなど、
「お金以外の面」で会社を選んでいたため、結婚してから給料の低さが浮き彫りに。
#そりゃそうだ
子供ができたと分かったタイミングで、
転職を決意します。
#2016年の年末
■初めての転職
この頃、履歴書に書ける資格があまりなく、
資格取得したい欲がすごかったです。
危険物甲種や環境計量士にチャレンジしました。
#やっぱり子供の影響はすごい
転職は、下記のような条件で探していました。
・年収アップ
・子育てには嫁親の協力が不可欠と思い、
嫁実家のなるべく近く
・子供には転勤させたくなく、
転勤があっても関西圏内
・なるべく廃れないような業界
・前職の経験をなるべく活かしたい
なんとか会社を見つけ、嫁実家からそこまで離れてない
「姫路」に引っ越すことに。
#ボクは兵庫県には縁も所縁も全くございません
転職してから数ヶ月して、無事男の子が誕生します。
母子ともに無事だったときは、
1人になったときにホッとして泣いたのを覚えてます。
#めちゃくちゃかわいい
しかし、年収が多少あがったとはいえ、やっぱり
サラリーマンの収入のみ(専業主婦)だと金銭面がきつかったです。
さらに、欲しいものは欲しい・買いたいと思う嫁さんと、
1つの買い物でも色々吟味したいボクとの間で、
金銭感覚の違いがだんだん浮き彫りになります。
そんな余裕がない状況でも、
嫁さんの精神が壊れたらダメだと思い、
ちょいちょい週末に大阪で遊んできていいよ、と行ってもらってました。
自分からそう言っといてあれなんですが、
「自分はこんなにガマンしてるのに、、」と
思ってしまったこともあります。
今思えば、この辺をしっかり話し合っておくべきでした。
■離婚を経験
転職条件は、家族を念頭においた条件だったので、
自分のやりたいこととか完全に後回しでした。
転職先は、「分析化学」の仕事ではあるけど、
職場環境(人間関係)は正直良くないです。
#そんな場所で今も働いてます
#早く辞めたい
当時は「家族」と「全く楽しくない職場」に、自分の時間をほぼ全て使っていました。年に一回ライブしたり、たまに飲み会行ったりはしてたけど。
それが悪いわけではないかもけれど、
どこか自分の人生を生きておらず、
活き活きしてない人間でした。
当時の自分は相当つまらない人間に映っていたと思います。
そんなこんなで、2019年9月くらいに、離婚したいと切り出されます。
不貞行為をしてたとかではないし、子供もいるしで、何度も話し合いました。
離婚専門のカウンセラーとかに話を聞きに行ったりもしました。
#この時は本当にしんどかった
話し合いは平行線で、結果ボクが折れる形で、2019年の年末に離婚が成立しました。
人生で本当のどん底の3か月でした。
ただでさえ痩せ型な体型なのに、4kgくらい痩せました。
食事が喉を通らないって本当にありました。
二度と経験したくないです。
#そりゃそうだ
元嫁さんの本心は今も分かりませんが、
活き活きしてない人間と一緒にいるのに
疲れたのではないかと思っています。
■バツイチになって
離婚後、明石市に引っ越すことに決めました。
あと、ずっと気になっていたオンラインサロンに入ることを決めました。
月1000円という安さに魅かれ、西野亮廣エンタメ研究所に入りました。
#この選択をして本当に良かった
本格的にサロン内で活動しだしたのは、
コロナが猛威を振るっていた2020年5月頃でした。
キッカケは、たまたま雑談券を買ったホームレス小谷さんと話をしたからでした。
「渡邊さんは色んな人に会ったほうが良い。スナックcandyに入りなよ」と。
ほんとうに小谷さんは恩人です。
2020年8月には、そんな小谷さんと直接お会いできました。最高でした。
#小谷家族も入ったよ
オンラインのスナックcandy、県人会、サロン垢を通じて、
色んな人に会って話しまくりました。
それは今も継続してます。
■行動的になった理由
一言でいうと「子供のため」です。
もしかすると、今後も元嫁さんと頻繁には連絡取れないのではと思っています。
どうなるか分からないけれど、気がかりなのは子供です。
#コロナもあり離婚してからまだ会えてない
子供は親を選べません。すでに親の都合で離婚を経験させてしまっています。
離婚がめずらしくない時代とはいえ、
ボクの中でずっと引きずると思います。
そんな子供のために、何ができるか。
今は、「困ったときに助ける」ことができる存在になりたいと思っています。
「お金」や「広告」など学校では教えてくれないことをボクが勉強すれば教えてあげられるし、
困っていたら、すぐ助けてあげれるようにお金や時間に余裕を持っていたい。
なにより、子供が「会いたい」と思えるような大人になりたいと思っています。
活き活きしてる人には、子供も大人も集まると思います。
今まで典型的なサラリーマン脳で生きてきたので、
今はまだ「人生でこれがやりたい」というのは見えてませんが、
色んな人たちの話を聞いたりして、「自分の道」が見つかればと思っています。
やりたいことをやらないと、結局続かないと思うので。
もしやりたいことが見つかったときには、応援してもらいたい下心もあるので(笑)、
今は知り合った人の応援や、オンライン・オフラインに関わらず「膝を突き合わせて話す」ことをしています。「時間」と「ある程度自由に使えるお金」があるうちは、続けたいと思います。
子供には「産まれてこなきゃよかった」とか「つらいから死にたい」なんて絶対思ってほしくないです。
つまらないなら、その状況を変えたらいいし。
ボクが言うことに説得力を持たせるためにも、
こうやって今挑戦していることや、その結果を、背中で見せれたらと思っています。
■さいごに
とりとめのない文章を最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
#好きです
今後とも、よろしくお願いいたします!
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■告知(繋ぐ会に出ます)
2020年10月24日に、コンセントカフェのイベント「繋ぐ会」に出させていただきます。
https://www.youtube.com/channel/UCVNOLL6g9gU0lSKBJbe8ZHA
もしお時間ある方は、見ていただけたら嬉しいです。
(アーカイブも残るそうです!)
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