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農地保全するならまず固定概念を捨てるべき?

ほぼほぼ田植え終了。

デンマークの田んぼも、地元だけでのお田植え祭になりましたが、なんとか国旗を作る段取りも完了。

あとは、今週、この田んぼの一部を利用して美山小学校5年生の田植え体験を残すのみ。

僕らの田んぼは、畑や小麦になってるところを入れたら2町歩分あり、この和泉地区における農地の2割ほどをまかなっている。

それも無農薬有機栽培でだ。
これは自然環境保護の観点から見ても有意義だと思うし、同時に農地保全もできて、子どもだけでなく大人にとっても学びや体験の場として活用でき、さらには大きな目的に沿ったコミュニティを生み出す場となっているとしたら、一石二鳥どころか、三鳥、四鳥にもなる可能性があるように思う。

こういうことこそ、国レベルでやったらいいのに。

大規模集約化も大事かもしれないけど、机上の計算ではなく、土と向き合うことから感じる、一般的な農政とはまた感性の違った発想による農業政策を目指す方向性もあった方が、この国のためになると思う。

決して現在の慣行農法をダメって言ってるわけではないけど、4〜50年前から始まった、現在の慣行栽培や大型機械化という夢の農業がはじまったものの、現在その大多数が破綻しかけているのなら、今一度立ち止まって、何百年も続いてきた農業のあり方に見習うことも必要ではないか。やってて実体験からの肌感覚としてそう感じる。

あと、非常にミクロレベルな話だが、慣行栽培による米作りと、僕らの農法(無農薬有機栽培および多面的活用)による一反あたりの経済性を考えると、結果的に後者のわれわれの方が収入金額と収益性が高いというデータもある。

農業そのものの費用対効果、そして、そこから生まれる価値と継続性への可能性など、総合的に検討する価値はあるのではないか。

ある意味、本格的でもない兼業にすらなってない農家が、自然環境保護だけでなく、観光に寄与する景観維持、人を呼び込むことによる経済効果、教育的価値、コミュニティの強化、情報発信による地域の誇りの醸成などを、小さいレベルでも実現できているとしたら、このやり方が、ひとつの解として、政治家や行政に検討され、多くの農家や地域に届くことを願う。

僕の周りには本当にたくさんの人が集まってくれてて、みんな楽しそうなので、それで満足だし、いいと言えばいいんだけど。

僕のとても小さな、小さな「革命への挑戦」は、まず、近所の子どもたちと遊ぶことなのかもしれない。

子ども向け自転車教室 ウィーラースクールジャパン代表 悩めるイカした50代のおっさんです。