「みんなで分かち合う農業」のススメ
2020年春先の、とある昼下がり。
草刈りをしていたぼくのところに、近所の農家のおっちゃんがやって来て、なにやら相談があると声をかけてきた。
「今年もう、しんどぉて、作れへんようになった田んぼが、一枚あんねんけど、それ、来年からあんたにお願いできひんか?」
「え? そうなんすか? うーん…」
(ここから頭の中の自らに問う声)
『おいおい、今、簡単に引き受けていいものか、よく考えろ。
これ以上、管理する水田増やしたら、田植え稲刈りはともかく、代掻きやら、日々の水管理、雑草とりやら、一時期に行う作業が増えてしまって、どえらいことになるんちゃうか?
ううむ…。
とはいえ、今、これを断ると、また空き田んぼが増えてしまうし。
ううむ…。
ぼくが管理するか、断ると、不耕作地になるか、例えば農業法人にお願いして、耕作してもらうか。
とはいえ、町中でそんな田んぼが増えて農業法人も手一杯と聞くし、法人は利益を上げるため、効率化を目指して作業をするので、地域の農村景観という観点からは、耕作をしてくれない可能性も。
そもそも、地域の田んぼは地域で守りたいというのが、うちの農事組合の考え方だし。
ここはやっぱり、地域の人間であるぼくらが守るべきなんだろうか。
でも、このままだとこれ以上の水稲栽培はキャパを超えてしまう。
ううむ…。
ううむ…。』
(と、ここまで約5秒)
「わかりました。なんとかしてみます」
こうして、またもや高齢化によって耕作困難な圃場の維持管理を増やすとこととなった。
農業初心者が耕作農地を広げる理由
ちなみに、ぼくらのグループでは現在、12枚の水田と3枚の畑。計15枚(2町以上)の圃場を管理している。
ぼくは、2009年に山町に移住し、その翌年、仮登記だった農地の本登記を住ませたのを機に、その地区に点在する耕作困難になった水田の管理を頼まれたのが、米作りと関わるきっかけであった。
そして、このあと地域の農村景観保全の取り組み、「たねもみプロジェクト」につながっていく。
たねもみプロジェクトとは、簡単にいうと、米作りというコミュニティの作業を通じ、積極的に多くの関係人口をつくり、その人たちが、年に何度も田んぼがあるこの町に足を運び、この地域への愛着とともに、その環境を守る一員として、それぞれの立ち位置から深く関わることを目的とした、農村景観保全プロジェクトである。
そもそも、自転車の聖地として美山町の環境を守るための活動の一環として始まったのが発展し、今ではぼくらの活動の大きな主軸となっている。
現在は、7つのグループ、総勢150名を超える人たちが、シーズン中、入れ代わり立ち代わりそれぞれ10回以上この地域を訪れ、無農薬有機栽培の米作りを行う。
うちの地区では、全体の約2割の圃場が、このプロジェクトにより、化学農薬や化学肥料に頼らない、昔ながらの農法で維持されている。
公的資金に頼らず、住民と、この地域に価値を感じる人達の思いと、工夫ある行動で継続している取り組みである。
さらに付け加えると、ここを訪れる人達は、自然体験の「お客様」ではない。彼ら自らも主体的に地域景観保全に関わる意識を持って行動を起こしくれている。
素人だからこその小麦栽培という無謀な挑戦
さて、冒頭の田んぼの話に戻ろう。
とりあえず、ぼくらのプロジェクトは、もっとその耕作面積を増やしたいところではあったが、現在の作付面積に対して、そのグループや関わる人の数を考えても、当時、キャパがいっぱいという状況だった。
となると、そうしたら良いのか。
そこで思いついたのが、作業の時期がずれる、米の裏作となる、麦の栽培だった。
かつてこの国の農業は、米以外に麦も盛んだったと聞く。
しかし現在、国内で消費する小麦はそのほとんどを輸入に頼っているという。特にパン用の強力粉として加工する小麦栽培は、国内での生産は極端に少ない。
ならば、ということで、初めての無農薬有機での小麦栽培が始まった。
11月頭、準備を終えた圃場に、手でコツコツと種をまき、12月、1月と多くの友人を呼んで麦踏みを行い。3月中旬には、京都の高校生の農業体験活動として、彼らの手を借り土寄せと追肥も行った。
そして6月。
多くの人の協力で育った麦畑から、なんとか460kg以上の小麦を収穫することに成功した。なにせはじめてのことなので、これが多いのか少ないのかがよくわからない。
ただ一つ言えることは、売り先もその処理方法も決めずに収穫した小麦なので、個人では手に余る収穫量であることには違いなかった。
この小麦は、地域の子どもたちと保護者の方々にも関わってもらって収穫を行い脱穀した後、残った麦わらの多くは茅葺き職人さんに引き取られていった。自分たちの麦わらが地域の茅葺屋根の修復などに活用されると思うと、地域の歴史の循環にいる実感もでてくるというものだ。
こうして収穫した小麦はその後、とにもかくにも小麦粉、つまり「粉」にすることに一苦労するのだが、この話はまた別の機会に。
小麦のあとは枝豆をつくろう!
さて、小麦の収穫が終わった圃場では、次なる作物として枝豆を栽培するため、小麦の収穫終了後すぐに準備を始め、7月初頭に枝豆の播種を行った。
これはぼくらの活動拠点であるCYCLE SEEDSに、よく遊びに来る地域の子どもたちを中心に行った。
なぜ、小麦の後に豆類を栽培するのか。
実は、これには科学的な根拠ある。
少し説明しよう。
マメ科の植物は、肥料が殆ど無い荒れ地のようなやせた土地で育つ。
実は、小麦を栽培したあとの土には、充分な肥料分がなくなっているため、肥料を追加する必要があるのだが、そのやせてしまった土地にマメ科の植物なら育てることができる。
さらにマメ科植物は根粒菌というおもしろい働きをする菌と共生している。
根粒菌とはマメ科植物の根に根粒を形成し、その中で大気中の窒素をニトロゲナーゼによって還元してアンモニア態窒素に変換し、宿主であるマメ科の植物へと供給するいわゆる共生的窒素固定を行う土壌微生物のことだ。
根粒内には宿主から光合成産物が供給されることにより、共生関係が成立している不思議な関係なのだ。
つまり、小麦のあとに、豆を育てれば、その後、追加の肥料をいれなくても、そこにまた小麦を育てることができるという、とても有効なサイクルができるという合理的な農法なのだが、実は「麦のあとに豆」というやり方は、そのような科学的検証が行われなかった大昔から、当たり前のように行われている栽培方法だったのだ。
少し余談になるが、これだけではなく、米や野菜の栽培方法の多くに、こうした経験から培われた手法が多くあり、現代になってその科学的根拠が証明されている。
長い年月をかけて培われた農家のこうした知見は、すごいの一言につきる。
それに比べて、近代農業の化学農薬や化学肥料に依存する農法は、あまりにもその歴史が短く、問題も多いように感じている。
みんなの大好きな枝豆は、みんなで楽しみたい
さて、夏が深まり、秋の気配が近づいてくる頃には、その圃場は、たわわに実った大量の枝豆の枝で埋め尽くされた。
約1.5反に育った枝豆。
その畝の長さの総延長は、実に約1.5km。
ものすごい量の枝豆ができてしまったが、そもそも土壌改良のための豆栽培で、出荷する予定もないため、小麦の栽培からこれまで、この圃場に関わってくれた人たちで、この枝豆を分け合うことにした。
分け合うにしてもものすごい量だ。
一般的に、枝豆は虫が付きやすいため防虫や殺虫のための農薬を散布するが、ここは無農薬にも関わらず、虫食いのないきれいな枝豆だったこともあり、枝豆は多くの人に大好評だった。
毎週末、収穫しては持って帰る人があとを絶たない。
枝豆を作ったことによって、その圃場は、人が集い、笑い声の絶えない場所になっていった。
そんな中、せっかく自分たちが関わった枝豆なので、みんなで販売して自分たちの活動費にしようと、子どもたちが中心の枝豆販売の企画が持ち上がった。
直販当日、
子どもたちは、生産部、販売促進部、経理部にわかれ、それぞれ工夫をしながら販売にチャレンジした。
極めつけは、得意な自転車を使った、訪問販売だった。
なかなか販売数が増えないころ、「自転車に載って売りに行こう!」と誰ともなく言いだし、実行し、実際に多くの枝豆を売りさばいて来たのには驚いた。受け入れてくださった近所の方々には、本当に頭の下がる思いである。
それにしても、子どもたちの自由な発想と行動力は見ていて清々しい。
結果、この企画に町の人の多くが、またSNSなどでこの活動を知った町外の多くの人が、彼らの収穫した枝豆を購入して協力してくれた。
分かち合う農業のススメ
高齢により、耕作維持が困難になった田んぼ。
誰がどのような作物を作れば良いのか。
赤字は出さずに、農家に負担がかからずに農地としての役割を維持できるのか。
今、日本中で、同様の問題が多発する中、この圃場は、多くの人を集め、多くの実りをもたらし、多くの人に、収穫し、食し、集い、助け合う喜びを与えることが出来る「場」となった。
なぜか?
それは、この圃場が、作物を売ろうとしていないからである。
お金に振り回されない、そんな農業を行っているので、収穫量やその他、面倒なことを心配したり、その結果に足を引っ張られない。
単純に「実りを分かち合う」という、農業の本来の意味を体現しているからではないだろうか。
ぼくはというと、このシーズンの小麦と枝豆を少し販売し、翌シーズンの栽培のための経費を確保できた。
こうしてまた、今シーズンの実りの時期に、多くの子どもや大人が集い、笑い声の絶えない圃場が続いていくのである。
土と水と種と。
少しの工夫で食物は育つ。
そして多くの人が関わること。
この当たり前の知識、誰にも与えられた、食を楽しむ権利を忘れてはいけないとつくづく思う。
農業の背景に笑顔が埋め尽くされるこの素晴らしさ。
後世に繋ぐ農地の使い方として、とても大切なことだと感じる。
売るためではない、
「みんなで分かち合う農業」こそ、新しい農業のカタチではないだろうか。
子ども向け自転車教室 ウィーラースクールジャパン代表 悩めるイカした50代のおっさんです。