この1年で失ったものと、得たもの。
2020年初頭からはじまった新型コロナウィルスの感染拡大という事件は、1年が経った今でも、われわれの生活に大きな影響を及ぼしたままだ。
ぼく自身も、生活全般に本当に大きな転換を余儀なくされた年になった。
ぼくは大学の講師とデザイン業の他に、個人活動の延長(ざっくばらんに言えば趣味)で、子ども向け自転車教室を、居住地の美山町を拠点に全国各所で開催している。
※このスクールに関しては下記のサイトにて。
これまでの生活はというと、各種自転車関連のイベントや、行政もしくはその地域の方に呼ばれ自転車教室を開催したり、将来的にスクールを開催する希望を持つ人たちに指導者講習会を行ったりするため、多くの週末はどこかへ行くというライフスタイルだった。
しかしそれが昨年2月後半から、このコロナ禍の影響で、見事に動きが止まってしまったのだ。加えて、地元の地域振興のために関わっていたイベントも、片っ端から中止。自分たちが地元で運営する自転車教室の年間スケジュールも確定させられない状況になってしまった。
本来なら毎週末埋まるはずだったスケジュールカレンダーは、空白だらけになった。
当然収入も激減、先行きが不透明な中、生活の不安も大きくなってきた。
「これはやばいかもしれない…」
そんな不安や思いが頭の中をよぎりだした頃、このままいたずらに不安と戦いながら日々を過ごすことが、果たして自分にとって正しいことなのだろうかと考え始めた。
下手に焦るよりは、この機に自分と、そして自分がやってきたことともう一度じっくり向き合う時間を持った方がよいのではないかと考え直しだしたのだ。
そう考えたぼくは、思い切ってこの現状に見切りを付けることにした。
「もうどうとでもなれ!」と、流れに身を任せてみようという感じで。
すると不思議なことに気持ちも楽になってきた。それよりむしろ今の状況を前向きに捉えられるようになり、お金が無いなら無いでやれることをやってみようという「妙な前向きさ」が、わき出て来たのだった。
それに加えて、今まで、手を付けられなかったこと、なかなか出来なかったことに注力してみようと考えはじめたのだ。
それは、これまで日々の忙しさにかまけて手が回りにくかった、農業や、地域の子どもたちへの取り組みだった。
実は、ぼくはこれまで週末になると遠方に出かけることも多く、実際のところ地域の子どもたちと関わる時間をとることが難しかったのだが、このコロナ禍のおかげ(?)で、たっぷり出来た時間を使って、地域の子どもへの取り組みに集中できることになった。
地域の子どもたちは意外に忙しい日々を送っている。
それぞれに都合がある子のために、休日は可能な限り子どもたちの受け入れようと、連日、可能な限りぼくらが維持運営するCYCE SEEDSを開放した。
平日も放課後にやってくる子どもたちを徹底的に受け入れた。
そしてそれを全て無償で行った。
結果、地域の子どもたちにとって、CYCLE SEEDSが、訪れやすい、大切な「遊び場」になっていったのだ。
そこは子どもにとって自由な空間であり、好きな自転車に乗ってサイクリングしたり、農作業や、たき火をたいて料理をしたり、薪割りしたり、とにかく友達と思う存分遊べる場所として、様々なことに触れるチャンスがある場所となっていった。
夏を迎える頃には、ひとり、またひとりと自転車に興味を持ってくれる子が増えていき、ぼくらが所有するロードレーサーの自転車を貸す機会が増えて来た。
秋が訪れるころには、地元の小学生の多くが毎週末土日、土日と自発的に集まり、レンタル自転車をフル稼働させて、サイクリングを楽しむまでになった。
シーズンの終わりには、総距離85キロ、獲得標高1,000m超のロングライドを二度も開催し、みんなで考え、一致団結して走りきるなどのチャレンジを行った。
ぼくらの活動が、まさに地域の子どもの受け皿になったと実感する状況だった。
近所の子どもたちが、自分の好きな自転車を選んで好きに乗り、楽しむという環境は、この町に移住した12年前から目指していたことだったが、ぼく自身、様々手を広げすぎたこともあり、しっかりとした形で実現出来ていない部分でもあった。
だが、このコロナ禍により出来た時間の空白を、地域の子ども向けに開放することで、目指すべき方向性が形になったというのも、なんとも皮肉なことである。
こうした「場の開放」による子どもたちの受け入れは、自転車ファンの子を増やすことだけに止まらず、ぼくらが目指す様々な活動にもその広がりを見せている。
例えば、農地保全の活動や、国際交流など、これまで広げてきた活動のあらゆる部分に、地域の子どもたちが興味を持って参画し、それにあわせて、保護者層までもが、ぼくらの活動の根底にあるコンセプトに理解を示し協力しだしてくれている。
これまで、単なる自転車の活動とみなされてきた印象の強かったぼくらの活動は、子どもたちの熱狂的な行動によって、町全体に浸透し始めてきたのだ。
それは、子どもたち自身が、「みんなで一緒に活動する喜び」を感じているからに他ならない。
この国難とも言えるコロナ禍において、社会は混乱し、ぼく自身も様々なものを失ったが、子どもたちのことを考える時間がたっぷりできたことは、得がたい経験であり、そこから学んだこと、そして多くの子どもと強い絆で結ばれたことは、今後のぼくらの活動にとって、大きな力となると感じる。