「透析を止めた日」・書評
堀川惠子 (2024) 「透析を止めた日」講談社
夫はNHKのプロデューサー。第一線で仕事に打ち込んでいるものの多発性嚢胞腎で透析を始めて9年目、40後半となって仕事仲間、フリーのディレクターである著者と結婚する。仕事が忙しく、慌ててクリニックに駆け込んでくるような人物像が目に浮かぶ。
指定難病、多発性嚢胞腎。肝臓、腎臓の嚢胞が肥大し、肝腎が機能を落とし、高齢者でも大柄で洋なしのような体型と歩くのも困難な重たい腹。遺伝病の影響なのだろう、浅黒くぶよぶよというかフカフカしたような独特な質感の皮膚をもつ患者さん達が印象に残っている。
本は一部と二部に分かれる。一部は透析10年の夫が妻の働きかけで80にもなる実母から腎移植をうけ、9年後に透析の再導入。そして2年たたぬうちに夫は亡くなってしまう。辛い導入を2回経験し、免疫抑制の苦しみ、有能なジャーナリストと気鋭のプロデューサーの夫婦。その押しの強さ、物事の進め方、医療従事者と著者の感情的な言動のやりとりもあり、胃が痛くなる。
二部は一転して日本の医療の問題点を追及している。緩和ケア病棟は末期の癌患者と重度の心臓病、AIDS患者しか受け入れない。おだやかに死にたいとすべてを受け入れ、緩和ケア病棟を有する病院を訪れても癌じゃないならダメと断られるとは思いもよらないことだろう。
透析が困難となり、透析を拒否しても肺に水がたまれば苦しくなる。翻意し再度、透析し水をひくがすぐに血圧はさがり、疼痛は増し、意識を失い、救急搬送され、療養病床のある専門病院に送られる。便臭の漂う病棟。患者さんは皆意識がない。薬で抑制され、透析をまわす。長期入院では保険点数が下がるので定期的に回復期リハビリテーション病床に移し、療養型病床への移動を繰り返す。循環器が持ちこたえるよう緩徐に。維持透析に加え、熱が出れば点数の高い敗血症に対する血液浄化も追加で行う。どのような患者がこのような最期を望むだろう。そこに倫理観はない。
私の勤めていた透析クリニックは病床があった。入院も一応できるのだが透析医しかいない。「病床のある透析クリニック」を検索してきたのだろう、一度末期の肺癌の透析患者さんが転院してきたことがあった。呼吸が苦しく肩で息をする患者さんを前になにも言葉をかけることができなかった。「お変わりないですか」もおかしいし、「元気ですか」もないだろう。なるべく近づかず、目が合ってもそらしてしまった自分の未熟さを申し訳なく思っている。
著者は終末期、療養型病床の透析患者の現状を「血液透析の出口の体制づくりに取り組んでこなかった業界の最後の受け皿」であるとし、批判するのはたやすいが「透析患者は、その病院から見放されたらどこにも行く先がない」「尊厳のある生とも死ともほど遠い気がする」としてPDラスト、終末期の腹膜透析を推す。透析困難な高齢者が腹膜透析を選択し、オーバーフローのシャントを閉じると脳血流が増え、ADL、循環動態が改善する例を紹介している。
PDのプロモーション感があるほどPD推しなのだが、読者である私もやはり腹膜透析に偏見があるのだろう。以前勤めていた透析クリニックにも腹膜透析を併用した患者さんがいたが知的に問題のある人ばかりで医師が専門医となるポイントを積みたいから腹膜透析にされたのだろうかと、出口カニューレを床に引きずりながら歩いてる患者さんをみて医療の闇を感じていました。
いまは腹膜透析液も改良が進み、感染症対策やネット通信機能のある腹膜透析装置、24時間体制のサポートなど腹膜透析に対する認識もアップデートしなければならないようです。ピークが来るといいつつ増え続けえる日本の透析患者、導入年齢もさらに上がり続けています。2000年の診療報酬の改定では腎代替療法の情報提供の推進が行われています。腎不全が進行すると、腎臓に代わる治療法、腎代替療法を選ぶことになりますが、日本では血液透析、腹膜透析、腎移植の3つの治療法のうち血液透析を選ぶ人が非常に多く、専用の冊子、「腎不全 治療選択とその実際」を用いて腹膜透析や腎移植について情報を提供すること、移植ネットワークに登録させることが評価されるようになりました。
PDファーストとは、透析導入時、最初に腹膜透析を行うことをいいます。 残腎機能が保護され、バッグ交換回数も少ないといったメリットがあります。PDラストとは、透析困難となった終末期に腹膜透析を行うことです。 PDを選択したくても腹膜透析を導入できる施設、人材が少ないという問題もあります。
WHOは「緩和ケアとは、生命を脅かす病に関連する問題に直面している患者とその家族のQOLを、痛みやその他の身体的・心理社会的・スピリチュアルな問題を早期に見出し的確に評価を行い対応することで、 苦痛を予防し和らげることを通してQOLを向上させるアプローチである」と定義している。癌患者限定とは書かれていません。
緩和ケアは、日本の医療制度では透析患者を適応としていません。「患者の苦痛を和らげることを目的にがんの進行度、病状に関わらず、がんと診断された時から受けられる心身的なケア」と定義されています。進行度にも関わらずというところがいい所です。癌と診断させた直後でも緩和ケアは受けられるのです。癌患者は終末期でなくとも、病が進行する過程で社会的に身体的に消耗していきます。
マスコミの癌に対する報道をみると「壮絶」が枕詞につくことが多い。「壮絶」という単語はマスコミの癌に関する記事でしか見ることがないともいえます。癌で親族を亡くした人に闘病は壮絶でしたか?と聞いたことがある。答えはいや、寝ていたよと。緩和ケアで鎮静されているのだ。著者は鎮静を担当医に頼んでいるが断られている。透析患者への鎮静は法的に安楽死のほう助になりかねない。ジャーナリストなど、うるさそうな相手には警戒もするのでしょう。日本も透析患者でも緩和ケアを受けられる医療制度であるべきだ。
夫は60歳で亡くなっている。透析患者としては若い。腎不全に加え、肝臓の機能も落ち、嚢胞の強い痛み、肝腎の肥大で食事もとれない。これは腹膜透析の適応ではないと思われます。肝移植を申し出る妻に担当医はできないと通告する。移植医の異動なども重なっている。姿を見せない移植医よりもなぜかサポートする医師への不満が語られるが、肝臓移植の行える病院への転院は考えていないようだ。諦めや受け入れの気持ちも出てきているのだろう。
透析を拒否し、3週間後、元気に帰ってきた患者さんもいた。週3回は病院に都合がいい。得にはならないが透析をやりたくない(見合わせ)、透析の再開希望も病院は柔軟に応じるべきだし、死亡事故があろうとも在宅透析も普及してほしい。現状、透析患者よりも透析機器の方が多く、受け入れ態勢は過剰だ。いつかは透析患者のピークを迎え、転換点は近い。ならばQOLを重視してほしい。外来透析が優秀で便利になりすぎたのだろう。送迎付きのお任せでは痴呆もすすむ。通えない時、どうするのか。患者、家族、医療従事者が考えておかなければならない問題だ。