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『虞美人草』 ④ 夏目漱石
知り合いが、夏目漱石カフェに行ってきたという。等身大と思える夏目漱石が椅子に腰掛けていて、一緒に写真も撮れるらしく、スマホを見せてもらった。
ギャーッ❤️ 行ってみたい❤️今度、モスの友人を誘ってみよう。
七 (京都から新橋へ、寝台車にて)
p.105
燐寸(マッチ)を擦(す)ること一寸にして火は闇に入る。幾段の彩錦(さいきん)を捲(めく)りおわれば無地の境(さかい)をなす。
春興は二人の青年に尽きた。狐(きつね)の袖無(ちゃんちゃん)を着て天下を行くものは、日記を懐にして百年の憂(うれ)いを抱(いだ)くものとともに帰程に上る。
古き寺、古き社、神の森、仏の丘を掩(おお)うて、いそぐことを解(げ)せぬ京の日はようやく暮れた。(略)
過去はこの眠れる奥から動き出す。
昭和30年 初版発行
漱石の「過去が追いかけてくる」という表現を読んだ時、理解できなかった。前だけ向いて、生きていこうよ!と思っていた。
今、大切にしたい人を大切にしようよ!と思っていた。
先日、PC の不具合でメールが使えなくなり、普段使用していないPC からいくつかのメールアドレスを探していた。
普段あまり確認しない方のもう一つのアドレスに、だいぶ前に届いていた一件に気づいた。過去が一瞬で蘇ってきた。
嬉しいことも、悲しいことも、洪水のようにあふれてきて、激しく動揺してしまった。
漱石の言う、「過去が追いかけてくる」を体験したのかもしれない。
もう、乗り越えた気になっていたのは、忘れていただけなのかもしれない。考えないようにしていただけなのかもしれない。
今、この小説と出会ったことを、運命のように感じている。
自分にとって大切な小説と思って、読んでいる。
でも、正直言って怖い。過去が追いかけてくるのを、ひしひしと感じる。
でも、見たくないものに蓋をしたままでは、自分自身とも出会えないような予感もしている。
乗り越えられるタイミングになったから、過去が追いかけてきてくれたのかもしれない。
p.106
わが世界と他(ひと)の世界と喰い違うとき二つながら崩れることがある。
破(か)けて飛ぶことがある。あるいは発矢(はっし)と熱を曳(ひ)いて無極のうちに物別れとなることがある。凄(すさ)まじき食い違い方が生涯(しょうがい)に一度起こるならば、われは幕引く舞台に立つことなくしておのずからなる悲劇の主人公である。(略)
しかしただ逢(お)うて別れる袖(そで)だけの縁(えにし)ならば、星深き春の夜を、名さえ寂(さ)びたる七条(しちじょう)に、さして喰い違うほどの必要もあるまい。小説は自然を彫琢(ちょうたく)する。自然そのものは小説にはならぬ。
昭和30年 初版発行
漱石の小説観、キタ。
色々な作家の文体、個性、特長を面白く感じてきた。
漱石の、過去と未来、東西南北を縦横無尽に駆け抜けるスタイルに今、魅了されている。
漱石の小説観もところどころ入ってくるから、しっかりキャッチする。
私の好きな作家のスタイルには特長があって、
ビジネス書みたいに、目次と内容がしっかり一致していたり、内容が目次に網羅されていたりしない。全部読んでいないと、自分にとって大切なことを逃す。
しっかりキャッチしておかないと、もう二度と出会えないかもしれない。
うっすらと感じるのは、私がキャッチしたかった一文は、項目に上げるような秩序だった文脈には収まらない類のもので、自由なおしゃべりの中で偶発的に湧き出たものかもしれない。
だから、綺麗な貝殻を集めるように、見つけたら一瞬でキャッチする。
p.111
紫に驕(おご)るものは招く。
黄に深く情濃きものは追う。
東西の春は二百里の鉄路に連なるを、
願いの糸の一筋に、恋こそ誠なれと、
髪に掛けたる丈長(たけなが)を顫(ふる)わせながら、
長き夜を縫うて走る。(略)
昭和30年 初版発行
漱石、言ってる。
口に出してる。
言語化してる。
恋こそ誠なれ、って書いてある。
この一文見ただけでも、救われた。あとは野となれ山となれ。
p.112
(略)「小野もそれからだいぶ変わったろう。なにしろ五年も会わないんだから……」
(略)
「小野は新橋まで迎えにくるだろうね」
「いらっしゃるでしょうとも」
昭和30年 初版発行
五年会わなくても、婚約は維持されていると思っている。
結婚は、親が決めることだから?
小野にとって、孤堂先生は親よりも恩人だ、という暗黙の了解が三者の間であるからか。
手紙の時代のコミュニケーション、って、太い。
しめ縄みたいにぶっとくて、しっかりと繋がっている、と感じる。
この日に、この鉄道で着くよ、って伝えたら、返事など待たなくても、
相手は来るに決まっている。この信頼感。距離感。
手紙に威力を感じるのは、私も同様。
手紙には、対面と同等の存在感を感じる。肉筆。筆跡。
筆跡も、一瞬で過去を蘇らせてくるものの一つ。
宗近君と甲野は、顔を洗って食堂車へ移動する。
孤堂先生と小夜子は、折詰弁当を買って食べている。
p.117
「おいいたぜ」と宗近君が言う。
「うんいた」と甲野さんは献立表(メヌー)を眺めながら答える。
「いよいよ東京へ行くとみえる。昨夕(ゆうべ)京都の停車場(ステーション)では逢わなかったようだね」
「いいや。ちっとも気がつかなかった」
(略)
「あの女は嫁にでも行くんだろうか」(略)
「嫁か?そんなに嫁に行きたいものかな」
(略)
「君の妹なんぞはどうだ。やっぱり行きたいようかね」と甲野さんは妙なことを真面目に聞きだした。
「糸公か。あいつは、から赤児(ねんね)だね。しかし、兄思いだよ。狐の袖無(ちゃんちゃん)を縫ってくれたり、なんかしてね。あいつは、あれで裁縫が上手(じょうず)なんだぜ。どうだ肱突(ひじつ)きでも造(こしらえ)てもらってやろうか」
「そうさな」
「いらないか」
「うん、いらんこともないが……」
肱突きは不得要領に終わって、二人は食卓を立った。
(略)四個の小世界はそれぞれに活動して、ふたたび列車のなかに擦れ違ったまま、互いの運命を自家の未来に危ぶむがごとく、また怪しまざるがごとく、測るべからざる明日の世界を擁して新橋の停車場(ステーション)に着く。
「さっき馳(か)けて行ったのは小野じゃなかったか」と停車場を出るとき、宗近君が聞いてみる。(略)
昭和30年 初版発行