フッカーという専門職に向き合って。 HO / 小池一宏
ラグビーにおいてスクラムは、もう一つの競技とも言われる。そのスクラムの第一列において舵取りをするのがフッカーというポジションだ。フッカーのもう一つの大きな仕事は、ラインアウトの際にボールを投げ入れる『スローイング』。こちらは、ゴールキッカーと同様にプレッシャーを克服しなければならない仕事だ。この二つの専門職をこなしながら、ジェネラルプレーでは、アタックもディフェンスも高いスキルを求められるのが、現代ラグビーでのフッカーというポジション。その難職をこなす選手の話は、沼を一歩ずつ探るように味わい深い。HO 小池一宏選手の深ーい話に、ぜひお付き合いください。
父親に、地元のラグビースクールへ連れられて
5歳の時に、父親に連れられて行った前橋ラグビースクールには、幼児クラス・小学生クラス・中学生クラスがあり、各学年15人ぐらいの子供たちがいた。
「最初からコンタクトありでした。今は小学校2年生ぐらいまではタグラグビーになっちゃいますね。僕は、タグラグビーはやったことなかったです。練習の中の遊びで、タグラグビーをやったことはありましたけど。当時の記憶はあんまりないですけど、楽しかったんじゃないですかね(笑)」
「小学校1、2年生の時は、ボールに触りたかったのと、ボールを持って走りたかったので、バックスをやっていました。コーチからも言われたと思いますけど、自分でも合理的に判断して、だんだん自分に合ったポジションになっていきました」
小学校の時には、体が大きい方だった。群馬県では中学にラグビー部が無かったので、ラグビーをやりたい子は皆スクールに通っていた。小池も中学3年まで、休日は前橋ラグビースクール通いを続けていた。そして平日は部活で柔道部に入って活動した。
「中学の柔道部は強くは無かったですけど、その経験がラグビーに生きていることもあると思います」
そして、ラグビー推薦で明和県央高校に入学。1年生の時は県大会の準決勝で敗退し花園には出場できなかったが、2年と3年の時は県大会で優勝して花園連続出場を果たし、いずれも2回戦まで進んだ。
「3年の時は、もうちょっと高い目標があったんですけどね」
高校のラグビー部での生活は、一般の人みんなが思い描く正しいラグビー部の姿だったようである。
「合宿の思い出はあります。日川高校という別の高校に行って五日間ぐらいの夏合宿をするのが毎年のビッグイベントだったんですけど、毎日朝の5時ぐらいから走っていました。でっかいバケツに水が入っていて、それを杓で掬って飲んだり、ヤカンの水を飲んだりとか。めちゃめちゃ昭和みたいな、みんながイメージしているラグビー合宿でしたね。それで、午後は毎日試合やっていました」
高校では、U-17代表にも選出された。他競技も含めて当時行われていた、中国・韓国・日本との3地域対抗戦出場のため、韓国遠征して試合出場したこともあった。
新しいことができそうだった法政大学に進学
「大学は一部リーグに所属していることと、あとは体育の教員免許を取れる大学ということで法政大学に行きました。スポーツ健康学部という学部が3年前に新設されて、新しいことができそうと思ったのも決めた理由ですね」
部員は全員で120人ぐらいいた。最初に振り分けられたのは、C、Dチームだった。
「そこがめちゃめちゃ悔しかったですね。A、BチームとC、Dチームで結構分かれるんですね。もっとトップでやりたいっていう気持ちがずっとありました」
その悔しい思いを胸に練習を重ねた結果、夏合宿の頃にはトップチームの試合に出られるようになっていた。
「部での上下関係は、1年目は感じましたね。やっぱり高校3年生と大学3年生はだいぶ違いますよね。環境も違いますし、入った頃は自分たちがすごく幼く感じましたね。入った当初は4年生はみんな大人だなっていう印象はありました」
大学2年で、フッカーに転向
1年の時はNo.8をやっていたが、2年に上がるとフッカーに転向した。
「コーチからの提案もありましたし、あとはチームにフッカーがあまりいなかったというのもあります。それと、大学を卒業してからトップリーグでラグビーを続けるならば、フッカーになったほうがいいだろうということは、自分でも思っていました」
2年になってフッカーに転向してからも、試合にはすぐに出場することができた。
「フッカーは専門職なので、なった当初の2年生の時はめちゃめちゃ迷惑をかけたと思います。スクラム組んだ時は、毎回先輩が止めてくれてるみたいな(笑)。でも、怖さはなかったですね。フッカーに転向して体重は5kg位増えましたが、増やそうと思って増えた訳じゃなくて、何か勝手に増えてました(笑)」
ラインアウトスローイングに関しては、今でも難しいという。
「でも、なんか何となく投げれていたんですね。今のほうが、怖いぐらいです。大学の頃は、なんかそんなに考えずに投げれていた気がします」
3年の時に始まった、リーグ戦の選抜と対抗戦の選抜でやる、関東大学選抜オールスターゲームのリーグ選抜メンバーにも選出された。
「僕が4年の時は、教育実習明けで一週間後に試合があったんですけど、張り切っていたのか扁桃腺が腫れて出られなかったです」
法政大学時代は、最高で大学選手権ベスト8だった。
「みんな個性派過ぎたのかな(笑)。それぞれの選手の色が強くて、それが一つにまとまらなかったのかなという思いはあります」
お洒落な感じがした、リコーラグビー部に入団
一番最初に声を掛けてくれたのが、リコーだった。リコーのラグビー部に対するイメージは、ホームグラウンドが世田谷にあって外国人選手もいっぱいいて、お洒落な感じがしたという。ちなみに小池は、グラウンドに隣接する寮に5年ぐらい住んでいた。
法政大学時代のラグビーは自由度が強く、規律もあまり無かったということだが、リコーに入団すると、そこが全否定された。リコーのラグビーは規律を重んじていると小池には感じられ、今まで自分がやってきたラグビーとは違ったので、それに馴染んで自分の中に落とし込むのには1年以上かかったという。
「法政では、練習も今ほどハードにやった記憶はないですし。今にして思えば、大学時代はもったいなかった気がします。もうちょっとやりようがあったんじゃないかなと思います」
「リコーのラグビーは、最初やりづらかったですね。最初はめちゃめちゃ悩んだりもしました。どうしたらいいかとか、悩み事はめちゃめちゃありました。フォワードの役割はこれこれだとか、ここにポジショニングしろだとか、決まり事が多かったです。大学の時はそんなに決まり事は無かったので」
最初はキャッチの仕方からパスのフォロースルーまで、一つ一つの動作をチェックされ、その重要性を叩き込まれた。
「すごい基本からやらされて、そこに迷いはありました。それまではその重要性に気付けていなかったのかもしれないです」
「リコーに僕が入って1年目は、下位リーグとの入替戦に出場しなければならないような成績でした。次のシーズンはガラッと変わって、6位になれました。1年目と2年目では、全然違ったという記憶はあります。僕の2年目にルーキーで入ってきた濱野とか松橋とかが、結構発言してチームの雰囲気を変えていってくれましたね」
3年目で首の手術をして、1年間休んだ。プレシーズンの時に症状が出てしまってすぐ手術となり、シーズン中は練習すらできなかった。
今年でプロ3シーズン目を迎える。
「ある程度試合に出られるようになって、自分の将来を考えた時に、会社員をやり続ける自分の姿が想像出来なかったんですね。営業だったんですけど、出世したいというような気持ちよりも、子供たちとか未来を作る人たちに何か伝えられる仕事をしたいという気持ちが強くなりました」
そしてプロ選手となったが、生活環境は大きくは変わっていないという。だが、自分の中で学びたいことを学ぶ時間が増えた。
「会社員時代から比べると、もっと色々なことに興味を持つようになりました。自分にとってより必要なものは何かと、考えるようになりました」
2021年の6月にプロになって、12月のプレシーズンマッチで前十字靭帯を切ってしまった。
「焦りよりも、次どうしようという思いの方が大きかったですね」
そこから、2022年の11月に復帰した。しかし、復帰して最初の練習試合では、心も体もまだフィットはしてない感覚があった。
「前十字靭帯自体は元通りにはならないんですけど、以前のパフォーマンスに戻るまでには2年ぐらいかかると言われています。それでも、前十字靭帯を切ったいろんな選手が復帰1年ぐらいでベストパフォーマンスを出せていますので、自分ももう少し早くベストパフォーマンスの状態にに持っていけたらと思っています。ただ、怪我をした後の難しさはありますね。来シーズンは本来の姿を見せられるようにしたいです」
と、今の状態を語る。
スクラムの見どころ
「強い選手は体がぶれないで、毎回コンスタントに組み続けられるというのはありますね。この選手は、なんか毎回同じように組んでいるなって見えたら、強いと思っていいんじゃないですか」
「体重はある程度必要です。フロントローはある程度体の強さが必要なんですが、やっぱり後ろの押しをどれだけ伝えられるかというのが重要なんで、個人の身体の強さだけでは限界があります。後ろの8人の押しを、どうやって自分の体に伝えられるかっていうところが、一番大切なことなのかなって思います」
「本来、まっすぐ組み合うのがスクラムなんです。でも、相手の肩と肩の間の空いているスペースを狙ってくるような選手は、強いなって思います。もちろん、真っ直ぐ押して強いに越したことはないのですが、そういうギャップをつける人というのは、結構嫌だなって思います」
「スクラムを外から見ている人にとっては、中で実際に何が行われているのか見分けるのは難しいですよね。真っ直ぐスクラムが動いている時ってわかりやすいと思うんですけど、回ってしまった時は、その力の加重が真っ直ぐ伝わらずに外側に行ってるから回ってしまうわけです。スクラムが回った時は、お互いに真っ直ぐ押せてないんだなという風に見てもらったらいいと思います」
「一般の人がスクラムを見ていて、回ってしまったり、落ちてしまった時には、どちら側に原因があるのか分かりづらいと思うのですが、フロントローの選手が見れば、だいたい意見は一致しますね」
皆さん、どうですか。わかっていただけましたか?この言葉の節々から、スクラムの奥深い世界を少しでも感じていただければと願います。
プレッシャーとの付き合い方
フッカーのセットプレーでのもう一つの大切な仕事として、ラインアウト時のスローイングがある。それに関しては、今もプレッシャーとは向き合っており、このオフにはスポーツメンタルについても学んでいる。
「スローイングが前シーズンの課題だったのかなって、自分では思っています。本来、一つのパスにしても一つのスローイングにしても重要性は変わらないはずで、プレッシャーはある程度掛かって当たり前だと思うので、スローイングだけをわけちゃうのも良くないっていうのは感じています」
「ラインアウトスローイングだからプレッシャーがかかるっていう風に、自分の中でも暗示がどこかしらであったかなと思ってます。スローイングを何か特別なものとして捉えちゃっていたのかなという反省があります」
自分とどう向き合うか、マインドセットの仕方も目に見えない戦いかもしれない。
来シーズンへの抱負
「来シーズンは僅差でも勝てる、接戦をものにできるようなチームになることが、ファンの皆さんも望んでいる事だと思うのですが、それは日々の積み重ねだと思います。日々ハードワークを続けていけば自信がつくし、やっぱり自信がつけば、大事な場面でも実行できると思うので。
試合中に選手みんなが自信に満ち溢れる顔をしていれば、大丈夫だな、きっと勝てるなって信じてもらっていいと思います」
怪我から完全復活して、ベストパフォーマンスを取り戻した姿が1日も早く見たい。ちなみに、髭は?
「髭は年末に一回剃ったんですけどね。来シーズンも少しは短くするかもしれませんが、髭で行きます!(笑)」
どうぞ、小池選手の来シーズンの活躍をお楽しみに!
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