2日目;大学院の紹介文を読む
毎日投稿の二日目。こんなブログは早めに書き終えて、さっさと確率論の勉強をしたいなと思っている今日この頃。昨日の記事で、人間の「能力」の評価基準として、1基礎的であるか2日常的であるか、という僕なりの評価基準を紹介した。そうした能力を極めた人達はどこか魅力的に見えるものである。
前置きはこれくらいにして、今回の記事で紹介したいのは、とある大学院の紹介パンフレットのPDFである。
「2016 大阪大学大学院情報科学研究科 情報基礎数学専攻」
http://www.ozawa.phys.waseda.ac.jp/pdf/2015-mat-ist-leaflet.pdf
僕は学部3年生でしかも経済学部経済学科の出身。まぁ自分の専門とは一見関係ないようなパンフ。大学院に在籍する10人前後の教授と准教授の、専門の話や経歴の話が1人づつ中々の密度で述べられている。PDFで取り上げられている専門的なことは、僕は全くわからない。「相対論的マックスウェル方程式の解をスピノールで表示する公式」と言われてもチンプンカンプン。。しかし、話の具体的な内容はわからないのにも関わらず、このPDFは興味深かった。刺激をもらえた。特に村井聡准教授の話が面白いと感じた。
「わからない」のに「面白い」のか?
さて、具体的な話はPDFを読んでもらうのが一番早いと思う。なので、ここでは、ある種の矛盾的な命題を考察してみる。これまでの僕の話で疑問に思った方もいるのではないだろうか。…それは「専門的で理解できるはずもない話でも面白いと感じる理由は何か」という問いである。正直、今は深い洞察が得られているので表面的なことしか言えないが、やはり誰かの何か専門的な話を聞いていると、まずその人の面白いと感じているポイントははっきるとわかる。ほかには、その人が情熱や好きの熱量なども話している時に一緒に受け取っているように思う。逆にわからないことに対して何かごまかしているような話し方する時は、割と直感的にわかる。最近だとゼミでもある程度ごまかしている部分がわかるようになってきたりする。両親とかが自分の言った主張をわかってねーというのも最近分かるようになってきた。悪いことのように思えるかもしれないが、良い部分もあって、自分が感じた気持ちとかやる気とかがどれだけ続くのかというのもある程度読めるようになってきたり、自分責めするときにどれだけ自分をごまかしているのかも少しづつわかるようになってきたり、という効果もある。
話が脱線したが、専門的な話や深い話を聞くときには、総じてその人の本気度というか素直さというか向き合い方というか、その人の人格というか考え方というか性格というか、そういったものを自分が敏感に感じ取っているのだと思う。特に自分は、素直な人とか本気な人が好きなので。そんなところかしら。結論としては、わからないのに面白いの?というツッコミに対しては、専門的な内容そのもの、それだけを楽しんでいるわけではない、と返しておくことにしようかしら。実際、すべてを知っていなくてはならないといのは嘘だと思うし。知らなくても楽しめる方法はあるんじゃなかろうかしら。コメントくれたら返信します(ボソッ
ほくろマン