プリパラ 2ndSeason 感想
ネタバレアリ 未試聴囲碁厳禁
2nd前回↓
1st好きな回感想↓
まずちょっと…と思ったところから。
気になったところ
・プリパラアイドルという矛盾の問題を、表面上ひびきのバックボーンの問題に落として、次元を少し落としてしまっている
プリパラアイドルは、過程としての側面であるみーんなアイドルと、結果としての側面であるセレブだけアイドルという相反する二つの要素を内包していて、今作ではその矛盾についてのジンテーゼを見出すのではないか?と心のどこかで思っていたが、作劇そのものの流れとしては、この問題を次元を落として、友達へのトラウマというひびき個人のバックボーンに落とし込んだことで、少し矮小化してしまっている感が否めません。
一方、ひびき個人の問題に落とし込むことで、ひびきを救うというみーんなトモダチを際立たせているともいえるので、難しいところではある。。。
・らぁらの成長
見た誰もが2ndはみれぃのための物語なのでは?と思うぐらいみれぃについての描写と、作品構造が丁寧でした。
一方らぁらは、ひびきの指摘通り、口ではみーんなトモダチ、みーんなアイドルと言うが、その事についてうまく説明できず、特に目立った成長過程もありませんでした。
スプドリ直前や、その近辺でらぁらが自信を喪失している描写があり、何らかの再生を経てライブに望むのかと思ったが、ファルルの懇願で力を開放し、鐘を鳴らしてしまいました。
続くひびきの救出劇は、それこそ構造的にはシステムとみーんなトモダチというらぁらの信条との対決であり、ついにここでか!と期待していたが、特に何かあるわけでもなく普通に救出してしまいました。
確かにプリパラの主人公だかららぁらを活躍させるのは当たり前なのだが、俺の中ではみれぃがやった方が納得感はあります。
これを書いている途中で思ったこととしては、らぁらはトモダチの存在を前提とすると、力を開放することが出来るようになるのかもしれない?
だからファルルにお願いされたら自信を取り戻したし、トモダチとなったひびきを助けるという事について主人公性を発揮できるのかもしれん
出来れば3rdでらぁらの成長について、みれぃレベルに丁寧な描写が見たいところ。
良かったところ
・メッセージ性がヘビーで、大人が見ても満足感のある内容
理不尽に突き付けられるシステムと、より可視化された現実的に立ちはだかる才能の壁によって、1stの明るいプリパラから一転、生み出される個々人の問題や、プリパラ、アイドルそのものの内包する問題へと迫る作品構造に感服です。
子供なら見逃してしまうような問題構造や要素の前提について、上手く掘り下げることに成功しており、大人でも考えさせられる内容が多かったです。
2ndのテーマは多岐に渡りますが、一つ自分が感じたことを書きたいと思います。
それは「アイドルとして真に人を魅了するのは何か」という点です。
私は80話 ポップ・ステップ・ガァルル!で号泣しました(イキ告)。
恐らく皆さんもそうだと信じていますが、なぜガァルルの初ライブは我々の心を激しく揺さぶる次元に至ったのでしょうか。
それは失敗しても、倒れても立ち上がる、それも1度ならず何度でも、笑顔で演技を続ける様に心を打たれたからだと思っています。
これはひびきの思想である、才能のある者で作り上げられた完成されたライブでは起こりえないことで、例え完成されたライブで無くても、我々の心を魅了するものがあることを、感動しているみれぃの描写を通して伝えています。
一方、才能あるもので構成された完璧なひびきのライブを美しいと思い、心を動かされたことも事実で、実際努力サイドも才能サイドも目と心を奪われています。
つまり、どちらもそれはライブの形、もっと言えばプリパラの形として正解で、不正解があるわけではありません。
それはどちらもプリパラなのです。つまりみーんなトモダチ、みーんなアイドルなんです。
この点が一つ、ぶつかり合う2つの問題の解決、ジンテーゼとして非常に美しいと思いました。
・それぞれのキャラクターの心情描写と設定
特にひびきとみれぃ。ほんまに細かい。
あろまも実は作り込みの強い打算的なキャラで、故に生粋の天然であるみかんと真反対のベクトルだからこそ、あろまげどんの調和はかなりとれている。
ひびきも認めたプリパラの体現者らぁらの今後に注目。3rdSeasonはどうなっちまうんだ。
2ndは各回殴り書き感想を基本全話書いてあるのでいつか清書して纏めときたいと思います。