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大同窓会

先日、その昔学んだ母校の化学教師であり、年350日以上活動した強豪吹奏楽部の顧問であり、年8割土日両方練習する強豪吹奏楽団の音楽監督である、恩師の就任30周年記念大同窓会が盛大に開催され、無事に終演しました。めでたい。

私がもうすぐ30歳なので、高校入学から15年間くらい楽器と吹奏楽を続けてるのも驚きですし、その倍の期間私が生まれたころから吹奏楽をやり続けている先生のバイタリティにも驚愕です。

(ふと余談で2024年、30歳になる年だけど同窓会の案内とかなかったな…)

元コンクールガチ勢であったものの、楽器がとてつもなくうまいわけでもなく、ショーレースに振り切って活動できたわけでもなく、母校の吹奏楽部や吹奏楽を取り巻く環境、吹奏楽コンクールの動向などについて、肯定的にも否定的にも思えるし、切っても切れないし、さっぱり整理のできるものじゃないんだなぁと思いつづけた十数年間。

でも、うだうだ言いながらも、楽器が好きで吹き続けてきたおかげで、こういうイベントの時に楽器取り出すのが億劫でないし、譜読みも昔取った杵柄で簡単だし、本当によかったなと思います。

練習初めのころ
飲みベ高すぎて草

吹奏楽部に入るのを勧めてくれたのは同じく高校で吹奏楽をしてた母でした。
今回会場には来られなかったけど円盤で聞いてもらえるかな。

昼の部は高校生、東京隆生吹奏楽団、高校OB・OGバンドがそれぞれ演奏。
高校生は本番を、東京隆生吹奏楽団はリハをそれぞれ客席で聞かせていただきました。

高校生はもはや私の知っている母校ではなく(リハでみた指導方法含め)、吹奏楽大編成ができる最大限のことを最高レベルで実現してました。
これはこーじゃないのか、的なことを思うものの、高校生がこのパフォーマンスをできるようになるプロセスが全く想像できないですし、自分に実現できないことに細かい茶々を入れるよりも、今を生きている高校生が素晴らしいパフォーマンスをしていることを喜ぶほうがいいなと。
初めて自分の子供がこの中にいたら滝のように涙があふれるんだろうなと思いましたね。
ディープパープルメドレーは卒業してから十八番化した曲ですが、これは令和の世じゃなかなかできないエンターテインメントなんじゃないかなぁ。ツイッターでは怒られてしまったりするのかもしれないけど。
高校生のうちしか全力で取り組めないものがきっとあるんだと思います。

東京隆生吹奏楽団はルイ・ブルジョアの讃美歌による変奏曲を取り上げていましたが、この曲は私が大学生になって初めて演奏した曲でした。懐かしい。
当時は高校卒業して中途半端に天狗なのに鬼下手くそなゴミだったので、こんな大曲に手が出るわけもなく、指も回らず、音程も合わず、当時の神トップ陣の指導を受けながら、少しずつ謙虚さを取り戻していったなぁと思い出しました。ほんと恥ずかしい。
当時とはほとんど入れ替わって、知っている人が指の数ほどになっていても、ホールを熱く響かせるゴージャスな響きが、曲のきらびやかさと相まって最高な演奏になっていたと思います。

高校OB・OGバンドが一番たくさん曲を演奏させていただきました。
現役のときはアルトだったのでそれで応募したけど、人数合わせでテナーにうつってみた。
当時は備品のソプラノ吹くのすら躊躇してたのに、このフットワークで楽器変えられるようになったのは、社会人なるときに楽器を買ったこと、これまた下手くそなのに受け入れてくれた隆生、ここ数年のアホ演奏会行脚のおかげっすね。多謝。
鈴木英史先生に代ごとに曲を依嘱して、定期演奏会のオープニングを飾って、CAFUAからCDをリリースしている母校。
今回はファンファーレを一曲委嘱していて、参加者にも直前までサプライズでした。大人の企みはすごい。
冒頭「はーたけーだ、来ったぞ~」に聞こえますよね。音源ないけど。
その後に委嘱第一作のマーチ・「スパイラル・タワー」を。現役当時からなんとなく憧れの一曲で演奏できて嬉しかったという同世代が多かった印象。
アルメニアン・ダンス パート1は言わずとしれた名曲、吹奏楽の第九ですが、私は現役時代演奏したことなかったなぁ。
聞きものはラテンスペシャル21!!だったかもしれないですね。母校を知らなければ出会うことのなさそうなメドレー。編曲。なぜか覚えている立つ場所、座る場所、若手も中高年も思わず立ちたくなってしまう(流石に危ないので簡略版にした弊害)。
楽譜にないけど吹いていたあのフレーズ、楽譜にあるけど吹いていないこのフレーズ。
イキリ散らかしてオクターブを上げたあの音。
何十年経っててもなんとなくできるもんなんですね。最初絶対やりたくなかったけど、混ざっているとそんな羞恥心も溶けていき…。おじさんでもこんなことしていいんだなって少し安心しました。
メドレーの最後にTHE BOOMの「風になりたい」を歌って踊るんですけど、当時全く刺さらなかった歌詞が今はズバズバ刺さる。
生まれてきたことを幸せに感じていたいし、それがかっこ悪くたっていんでしょうね。

アンコール前に恩師から恩師へのお話がありましたが、こんな素敵な恩返しはないんだろうなと思いました。自分の人生にそんなタイミングが訪れるかわからないけど、人生で恩を感じた人にいつかその恩を返せるように、少しずつ精進したいですね。
宝島のソロは今でも吹けないし、既に吹けてる若手はすごいなぁと思います。アルセナールは卒業してからもたくさんやったけど、何度やってもアンコールに丁度いい。コンサート長すぎて疲れてたら歩いて帰ってください。

夜の部はホテルの宴会場で立食パーティーでした。金をたんまり使って飲む酒はうまいよなぁ。何度でも呼んでほしいこういうの。

高校時代に教えていただいた講師の先生方もいらっしゃっていて、久しぶりにお話できたの嬉しかった。ちょうど前の週のYSAでも御一緒してたけど、人数多すぎて尻込み。勇気を出して話しかけて良かったね。

もう一つ嬉しかったことがあって、楽器を始めるきっかけになった一つ上の先輩の話をお兄さんから伺えたのがラッキーでした。同期がお兄さんと知り合いで口聞いてくれたので話しかけられた。よかった~。
楽器続けてたらまたきっと会えるだろうなと思って、こりずに練習します。

懇親会の企画も、記念品も、何もかもクオリティが高くて、大人が本気出して幹事やるパワーを感じた数時間。同期の部長が還暦の会をやるって話つけてきたみたいなので、7年後生きてたらまた会おう。

その後気の置けない同期で4次会くらいまでやって、タクって深夜ドライブを楽しんだので最高。カバン忘れて終電とかしたり、吐いて追い出されたり、さまようおじさんにであったり、何が起こってもおもろかった。

これは多分ちばチャンのプレモル

吹奏楽がうんぬんの話題が色々あっても、自分が通ってきた道で出会った人たちのおかげで今これだけ楽しくなれるので、それがまがい物だろうが歪んだものだろうがなんだろうが、まあいったんそういうのは置いとけよって思える心の余裕ができたことに安心しました。
テナー楽しかったぞまた吹きたいな!!

(追記)
恩師のお祝いなのに恩師への感謝と書いてないなと思って。
高校時代もその後も、生徒を子どもあつかいせずに、大人と同じ価値観でいさせてくれた方だなと思っています。絶対服従で大きな声で返事をしてるだけになりそうだった私がそうならなかったのがその証拠かなと。生徒のときは理解できなかったことが、今になってみるとわかったりするのだろうなと思います。
驚異的な記憶力で同窓会期間中も当時の生徒とそのエピソードがでてくる状態に多分私は一生なれない笑。名前が絶望的に覚えられないレベルだしね。
なにより、吹奏楽が好きだという気持ちが30年以上変わらないことが、今にいった要因なんだろうと思います。もしかしたら嫌いになるような瞬間があったりされたのかもしれないけど、それが我々には伝わってこなかった。
なんやかんやブーブー文句言ったりしてたものの、若気のいたりだったですね。30周年おめでとうございます。これからも吹奏楽続けるので、またご一緒で切れたらなと思います。ありがとうございました。

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