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大内氏と菅原道真と祟りとの関係 - 2074文字

菅原道真怨霊伝説

発生日時: 延長8年6月26日(ユリウス暦930年7月24日)
場所: 平安京・内裏の清涼殿
背景: 干害に見舞われた平安京周辺で雨乞いの会議

事件の経過
当日の天候: 正午過ぎから雷雨が発生
落雷時刻: 16時過ぎに清涼殿の南西の第一柱に直撃

被害状況

死亡者:
藤原清貫(大納言民部卿): 衣服に引火し即死
平希世(右中弁内蔵頭): 顔を焼かれて瀕死状態後に死亡
右兵衛佐美努忠包: 髪を焼かれて死亡(扶桑略記では右近衛忠兼)
負傷者:
紀蔭連: 腹を焼かれ、後に回復
安曇宗仁: 膝を焼かれて立てなくなるも後に回復

清涼殿の混乱
火災: 清涼殿南庇で発生、右近衛茂景が消火
救護と混乱: 公卿たちは負傷者の救護や遺体の搬出で混乱
醍醐天皇の遷座: 7月2日に常寧殿に遷座し、3ヶ月後崩御

事件の影響

怨霊伝説:
藤原清貫が菅原道真の監視を命じられていたことから、道真の怨霊によると噂
道真の怨霊が雷神を操り、落雷事件を引き起こしたとの伝説が広まる

清涼殿落雷事件の概要 - 菅原道真の怨霊伝説の由来

抄録

菅原道真・(宇多天皇・右大臣)が、宇多天皇を呪ったとして、左遷させた当人は、藤原時平である。
応仁の乱も同じようなタタリ・祟りがあった。

  • 応仁の乱(細川家山名家との戦い)で、4年後(1472年)両家(細川家・山名家)で話し合い、和議が始まるが、赤松家に止められる。

  • 3月 細川勝元は、実子責任転嫁

  • 5月 山名宗全は、自殺を図るも制止され、長男・政豊に責任転嫁

  • 1473年1月 山名家最重鎮山名教之が謎の死

  • 1473年3月18日 山名宗全病死(後追い自殺ではなく)

  • 1473年5月11日 細川勝元死去

  • 一方で、大内軍・大内政弘(西軍)
    は、4年
    前(1468年)に、7カ国の兵士1万人水軍2万艘を率いて西軍に参加したが、1476年に第七代征夷大将軍足利義政に和睦を求められ、1年後、大内政弘が正式に降参し、西軍敗北

菅原道真は、現在の福岡の太宰府市に左遷された後、2年で失意のうち亡くなる(京都から福岡の道中には、息子の菅原淳茂君も居た。)
太宰府では、藤原清貫が監視を担当した。
多々良朝臣氏(大内氏)
は、聖徳太子に仕える身分であった。
琳聖太子は、聖徳太子の2歳上である。
琳聖太子
は、第三十武王の三男であり、周防国に渡来し、日本に漢字を伝えた。
現在山口県のタタラ浜海岸に着いたため、多々良氏を名乗った。
琳聖太子六代後が、多々良朝臣正恒である。
多々良正恒
は、菅原道真右腕であった。
菅原道真の名誉回復のために、現在の山口県の周防に帰り、妙見信仰の普及に努めた。多々良朝臣正恒は、宇多天皇が、関係を持ちたく無かった藤原家が『朝臣』の称号を持っていたため、その225年前(古墳時代)から使われていた『宿祢』の称号も与えられた。

祇園祭発祥の地に、神泉苑は、源義経・源静の出会いの場所

昌泰の変と藤原氏の権力争い

昌泰の変(898年)は、平安時代中期に発生した政治的事件で、藤原北家の内部抗争とその影響が絡んだものです。この事件は菅原道真の左遷と密接に関連しています。

藤原北家と南家

藤原北家(ふじわらほっけ):
• 祖: 藤原房前(ふじわらのふささき)
• 主要人物: 藤原良房、藤原基経、藤原道長、藤原頼通
• 特徴: 摂関政治を通じて天皇を補佐し、政治の中枢を握る
藤原南家(ふじわらなんけ):
• 祖: 藤原武智麻呂(ふじわらのむちまろ)
• 主要人物: 藤原仲麻呂、藤原乙牟漏
• 特徴: 特定の時期や人物に依存した権力行使

菅原道真(すがわらのみちざね)

生涯と業績:
学者・政治家として活躍し、右大臣に昇進
宇多天皇の信任を受けて政界で台頭

昌泰の変と左遷:
• 藤原時平(ふじわらのときひら)との対立が激化
• 時平が道真が天皇を呪詛したという虚偽の情報を広め、道真を大宰府に左遷
• 大宰府で失意のうちに亡くなる

宇多天皇(うだてんのう)

在位期間: 887年 - 897年
特徴:
藤原氏の影響を受けず、自ら政治を行おうとした
• 菅原道真を重用し、彼を右大臣に任じる
• 宇多天皇は寛平9年(897年)に皇太子敦仁親王(後の醍醐天皇)に譲位し、31歳の若さで退位
• 退位後、昌泰2年(899年)に小室仁和寺で出家し、法皇となる

多々良正恒(たたらまさつね)と大内正恒(おおうちまさつね)

多々良正恒:
菅原道真の側近であり、彼の右腕として活動
• 道真の左遷後もその名誉回復に努め、後に周防に帰り、妙見信仰を広めた
大内正恒:
• 多々良正恒の別名、もしくは同一人物の異名とされる
妙見様の力を頂き、宇多天皇から「大内」の姓を賜った。
• 大内の姓は、大内裏(だいだいり)から来ており、宇多天皇の御陵がある大内山と関連している。 - 天降陽神(別名・伊弉諾尊・長女)から、太陽の橙色から来ていると思われる。 - 先代舊事本紀より

角川サイバー問題と神代(クマシロ)

角川Dwangoが公式にサイバー攻撃を発表した日・2024/06/14
大内山の場所

大内氏関連リンク

以上

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