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短編「足りない若さ」
年齢が離れすぎていたのだ。それ以外に考えられない。予約した高級レストランの雰囲気はばっちりだったし、運ばれてきた料理も絶品だった。用意したサプライズだってうまくいったし、あのデートプランに非の打ちどころなどないはずだった。それなのにあんな結果になるなんて…。
本当に大切なのは、実年齢ではなく精神年齢ではないのか。あんなにも時間をかけて、手間暇かけて準備した私の時間は一体なんだったのか。
爆発的ヒットを飛ばした「少女明智の事件簿」の作者たる小戸(おと)カヨコ先生を知らない人間は、今やこの日本にはいなかった。漫画一筋で、恋愛のひとつもしていなかったその人気漫画家の心を射止めるのはたやすいこと、そう高をくくっていた私は自分の浅はかさを呪った。私はこの出来事から大きな教訓を得ただろう。昨晩、私のプロポーズは拒絶されたのだ。
{Scene1}
「年の差だ?村上さぁ、それは違うと思うよあたしは。」
この女の名は綾子。私と同業の仕事をしている女だ。ふとしたことがきっかけで知り合った私たちは、仕事の話で意気投合して以来、時々こうしてバーなどで語らうような仲となった。
「まぁ37歳にもなれば不安になるのは分かるけどね。実際のところ年齢は関係ないと思うよ。まぁ頑張ったほうじゃない。相手に合わせて色々と勉強したんでしょ。世代ギャップを感じさせないように相手が好きだったドラマとか音楽とかをわざわざチェックしたりしてさ。ご苦労なことですわ、努力家だねあんたは。でもあたしは村上のそういうところ好きだよ。
それというのもあたしね、実をいうと村上のこと初めて会った時から結構タイプだなって思ってたの。本当よ。どう?今晩あたしの部屋に泊まりに来ない?」
また始まった。この女は酔うといつもこうなのである。実際のところ彼女は本気で私を誘っている。アルコールの勢いを借りて、大胆に迫ってくるのだ。
もたれかかってきた彼女の顔は、間近で見ると本当に端正な顔立ちをしていた。この顔に一体どれだけの男が惑わされたことか。
だが私は知っている。この女と関わりを持った男たちがどうなっていったのか、その末路を。男は残らずこの女の養分となって無一文になったのだ。自己破産にまで追い込まれた大企業の社長がいることを私は知っている。この女は性悪なのだ。この女と深い関係を持ったところでろくなことにはならない。たとえ彼女が私のことを本気で愛していると確信が持てたとしても、私は彼女と恋仲になろうなどとは思わなかった。そもそも私にはその気などまったくないのだから。
{Scene2}
「村っちはそういうところあるよね」
こいつは大輔。彼とは桜蘭工業高校で出会って以来、年に数回ほどこうして食事をとる仲だ。
「まぁ年齢も大事かもね。俺も一回り下の弟がいるけどさ、全く話が噛み合わないよ。価値観が違うっていうのかな、ちょっとしたことでよくもめるよ。ジェネレーションギャップってヤツ?意外と侮れないと思うよ。友達ならともかく結婚相手ともなるとね、歳の差っていうのも結構無視できないポイントかもしれない。
まあ困ったことがあったら何でも相談してよ。俺は村っちのこと親友だと思ってるからさ。それに俺はこう見えて結構顔が広いからね、村っちに良い人紹介できるかもよ。とにかく遠慮せずに頼ってよ。その年で結婚詐欺なんかにひっかかったら笑えないからさ」
親友か。二人はそんなことを言えるような関係じゃないだろう。大輔のその言葉を聞いて、私はとても複雑な気持ちになった。
実のところ、私は大輔が自分のことを愛していることを知っていた。桜蘭工業高校というのは全寮制の男子校だ。共学の高校に比べると男子校ではそういうことが起きやすいという話は聞いたことがあった。襲われた事例もあるという話を耳にした時に、私は彼を警戒していたことさえあった。ただ長い付き合いとなった今では、彼が本当に誠実な人間であるということはよくわかっている。あまり人に対してこんなことは思わない性分なのだが、大輔、こいつにだけは幸せになってもらいたい、心からそう思うのだった。
{Scene3}
「村上さん、あなたに伝えておくべきことがありました。」
こいつは私のプロポーズを拒絶したクソガキ"小戸カヨコ"だ。
「あなたのプロポーズを断ったあとにですね、ずっと考えていたんです。この先、自分がとるべき道は何なのかって。そして昨日ようやく自分の中で結論が出ました。それを今からお話しします。まずはそれに至った経緯です。
あなたは桜蘭工業高校で働いていると言っていましたね。失礼ながら調べさせてもらいました。するとあなたがとても人望のある教師なのだということがわかりました。生徒さんや保護者の方からも評判がいいようですね。今でも時々、あなたと食事をする卒業生さんもいるんだとか。昨夜、あなたが一緒に居酒屋で飲んでいた大輔君という青年もあなたの教え子さんですか?あなたは美人だし、気立てもよい人だから、さぞや人気があるのでしょうね。
でもね。だからこそ僕はあなたを許すことができなくなってしまったんです。あなたには不幸になってもらわないといけない、使命感さえ湧き上がりました。」
小戸カヨコ。本当に面白いペンネームだと思う。オトコカヨのアナグラムでオトカヨコ。女なのに男みたいなペンネームの漫画家は時々いたりするものだが、男なのに女みたいなペンネームの漫画家は彼以外にいるのだろうか。そういえば"金田一少年の事件簿"の"さとうふみや"が女性だと知った時は、随分と驚かされたものだ。私は彼の話を聞きながらぼんやりとそんなことを考えていた。
「村上さん、僕が何をいっているのかわかりますか?あなたのことをね、綾子さんという人からすべて教えてもらったんです。すべてをね。あの人も性格の悪い女だ。愛する人が自分のものにならないとわかると、こうやって人に売ってしまうんですから。きっとまともな人生を送れなくて、性格が歪んでしまったんでしょうね。同性愛者というのはまだまだ世間からの風当りが強そうですから。
ただ彼女の話を聞いて、僕は一生をかけてあなたに嫌がらせをしていこうと決めました。村上さん、相手が悪かったですよ。僕は人一倍正義感が強いんです。逃げても無駄ですよ、必ず探し出してあなたを不幸にさせますから。僕にはそれだけの財力があるんです。覚悟してくださいね。」
綾子がこの男に何を言ったのかはわからない。あの女のことだから、あることないこと吹き込んだのだろう。こんなにも男を狂わせることが出来るなんて、まるであの娘は洗脳のプロだ。
いや、違う。それは違う。簡単なことだ。あの男が綾子の言葉を信じた理由。それは若さだ。若さの差だ。私は彼女よりも若さが足りなかったのだ。若い女の話は素直に信じて、老いた中年女の話なんて聞こうともしない。男なんてそんなものなのだ。
だがそんなことは今となってはどうでもいいことだった。
教師という職の安月給に満足さえ出来ていれば、こんなリスキーな副業をせずにすんだのだろうか。綾子が天職としたこの仕事、結婚詐欺を。小戸カヨコ、この男をだまし損ねた代償は大きい。