餘部橋梁物語 第8話 知事国鉄本社に陳情へ
> 宴は決して派手なものではなく、ただ町会議員の何人かが売込にやって来たのが少し辟易としたものですが、こじんまりとした宴は2時間ほどで終りさほど印象に残らないままに終えようとしていたのです。
> ただ、一人の人を除いて・・・・
一人の女というか、一人の少女に知事の目は釘付けになりました。
まだ、赤い頬の幼さが残る少女が、年輩の仲居に混じって、仕事をしているのが印象に残っていたのでした。
実は、この少女こそ、手紙を書いた鈴木一郎の姉で今年中学を卒業して、仲居として仕事を始めたところだったのです。
もちろん、知事はそんなことを知りませんし、少女の方も知る由もなかったのですが、運命の神様と言うのは時々こんな些細ないたずらを用意するものなのでしょう。
宴も終わり、静けさだけが夜を支配する頃、多少の酒に酔った知事ご一行は、昏々と深い眠りにつくのでした。
翌日は、昨日とは打って変わってよい天気で、車も順調に走ります。兵庫県県庁舎に到着したのは17時頃でした。
庁舎を赤い夕日が染めています。
車は、静かに県庁正門に停車し、秘書と知事はかなり疲れた表情のまま車を降りるのでした。
すでに、退勤時刻が迫っているので、帰り支度をする職員も多数見受けられました。
知事室の戻り、しばらくすると、秘書係長が文書の山を持って知事室に入ってきました。
「知事、書類の決裁を・・」と言いかけた言葉を遮るように、
「きみ、すまないが、その書類はどうしても急ぐ書類ばかりなのかね。」
「全てがそうではありませんが、一部急ぎの決裁もあります。」
「どうしても急ぐ分だけにしてくれたまえ、私は大変疲れているのだ。」
知事は、不機嫌そうにいうのでした、無理もありません。
延々と、6時間も7時間も車に乗って、それも高速道路などない時代ですから当然と言えば当然ですよね。
秘書係長が申し訳なさそうに、「この書類とこの書類に決裁をお願いします。」
2通の書類を提出しました、どちらもとり止めもない内容の話であり、さらっと目を通すと印を押していくのでした。
「さて、決裁の仕事は終わった。」誰に言うともなく呟いた知事は、秘書課長を呼び出すと昨日の視察の件について早急に、報告書を提出するように指示を出しました。
2日後、秘書課長が決裁文書とともに、先日の報告書を添えてもってきました。
その報告書には、余部に駅を設ける必要性及びそれに伴う住民への経済効果などが細かく記述されていました。
骨子としては、余部橋梁直下の集落は、陸の孤島であり鉄道を利用しようと思えば線路を歩いて3kmほど先の鎧駅に行くのが最も近い方法であるが、これでは線路を歩く必要があり安全上も問題が多すぎることが指摘されており、視察で聞いた内容が、しいては子どもの最初の手紙の内容を多少大人向けにアレンジしたような内容でしかありませんでした。
知事にとっては多少は不満でありましたが、内容については了承、改めて国鉄本社に陳情に行くので、陳情文書並びに関連資料を作成するように秘書課長に命じたのです。
以下は、国鉄総裁に宛てた陳情文の内容です。
日本国有鉄道総裁 十河信二 殿
[陳情の要旨]
国鉄山陰本線、鎧駅~香住駅間に駅を設けていただく旨の陳情
[陳情の理由]
山陰本線、余部橋梁直下には比較的大きな集落があるのですが、そこの住民は列車に乗るためには山道を迂回するか、線路を歩いて隣の最寄駅である鎧駅まで歩く必要があるのですが。、安全上問題が多く、是非駅を設置いただきたく陳情することにいたしました。
この陳情は、地域住民の福祉の向上を願って陳情するものであります。。
1) 三方を山に囲まれもう一方は海が迫る狭い地域に集落は存在し、その集落の上を山陰本線余部橋梁が通過しており、余部の集落の人々には何の経済効果も与えていません。
2)住民は、隣接の鎧駅までは、余部橋梁を徒歩で横断の上トンネルを越えると言う危険な方法で汽車に乗っています。
3)それゆえ、悲惨な事故で家族を亡くすという事例が多発しています。
記
1、早急に余部集落に駅が設置可能かどうかをご検討ください。
2、設置に際して財政負担があるのか否かをお知らせください。
その他参考事項
その他参考事項として、地元小学生、鈴木一郎による陳情文を添付させていただきます。
昭和31年6月15日
兵庫県県知事
坂本 勝
秘書課長が作成した、文書を若干訂正した後浄書し、陳情文は国鉄本社に送られることとなりました。
さて、次回は国鉄本社でのお話となります。
乞うご期待?