若かりし頃の思い出
皆さまこんばんは、昔の回想をするとき、人は年を取ったと言われるそうです。
ということで、歳をとった私の青春時代のお話をさせていただこうと思います。
私が20歳のときと言えば、今から36年も前の話です。
みなさん、20歳と言う年齢に何を感じますか?
昔は20歳になれば『大人』と言うことを強く意識したものですが、今は大学生における通過点くらいにしか思っていない方も多いのではないでしょうか。
私が高校生の頃は、大学への進学率はおおむね50%台であり、現在は若干下がったとはいえ80%の進学率ですので、大学に行かないことは決して恥ずかしいことではなくむしろ高校を出れば働くのは当然という風潮がまだまだありました。
私も大学進学を希望していたのですが、家庭の事情もあり進学を断念しそのまま就職しました。もともとは、進学希望が有ったのですが・・・家庭のゴタゴタで勉強すらしていなかった(まぁ、こういうことを言うのは卑怯ですよね)ので、そのまま就職浪人に・・・。
取りあえず自動車学校に通うニート君の誕生でした。
しかし、その4ヵ月後、自分が警察官になるなんて夢にも思っていなかった19歳の自分がいました。
私は、高校に入るときもちょっとトラブルがあって1年間遊んだので高校卒業が遅れたんですよ。
留年じゃないけど、入ったときから週周回遅れのスタートだったのです。
だからこそ、これ以上社会に出るのが遅れてくれるなみたいなことも暗に両親からも言われていましたしね。
個人的な計画では、高校・大学とストレートで合格して、その後大学院で修士・博士課程まで、出来るだけ長く勉強できればいいななどとかなわぬ夢を妄想していました。
小学生の頃、夢は大学教授でした。笑
医者は血が苦手だったので、パス、しかし、自然科学分野に興味がありましたので、当時は本当にそうした分野の教授になれればいいなぁと思ったりしていたのですけど、人生思うように行きませんね。
19歳で採用試験を受験したきっかけは、本当に些細な理由からでした。
就職先もないのなら、腕試しに受けてみたら、母親に言われて受験したのでした。まさか合格するとも思っていませんでしたし、翌年には国鉄に就職するんだ・・・それが自分の中では既定路線だったからです。
だから、先ほども書いたように、「ちょっと受けてみるか。」・・・そんな軽いのりでした。
ただ、何を勉強すればいいのかわからないので、特段何もせず、5月頃に県和商(和歌山県立商業高等学校)で実施された、1次試験を受けることになったのです。
いくつかの教室に分かれていましたので、400人くらいは受けたのではないかと思いますが、偶然にも1次試験合格してしまいました。採用予定者が20人ほどでしたのでこの時点で最終的な競争率20倍です。
焦ったのは私のほうでした、まさか合格するなんて・・・、まさに晴天の霹靂でしたが、こうなったら2次試験を受けるしかないということで、受けたのですが、当時は結構コネと言うか口利きもあったのか否かは知りませんが、あれよあれよというまに合格通知が・・・。
8月1日、和歌山県警察学校に入校せよとの召集令状?ならぬ召集通知がきました。
と言うことで、8月1日には警察学校の門をくぐることになるのですがその辺の話は、機会があればアップさせていただきます。