論理と言うことについて考える(私見)
最近、ロジカルシンキングなる言葉を耳にすることがある、目新しく聞く言葉故に私にはちんぷんかんぷん・・・しかし。
よくよく考えれば、「論理的思考」のことをわざわざ外来語を使って、難しく表現しようとしている騙しなんですよね。
何故、「論理的思考を鍛えよう」と書かないんでしょうね。
ロジカルシンキングと書くと、意識高い人に見えるからかもしれないですね。
でも、そんな風に薄っぺらいロジカルシンキングよりも、しっかりと、地に足がついた論理的思考の方が良いと思うんですけどね。
「論理」筋道を立てて考える、これが出来ていない若者が増えているような気がするんですね。
気になればスマホで検索すればよい・・・そんな風潮があって、ネットの答えは全て正しい。
そんな風に考えてしまう人が増える。
活字より漫画、漫画より動画で表現することで、理解を促す。
結局、面白い動画、興味を引く動画ばかりが注目されて、本来の活字に親しむと言うことが疎かになってしまう。
昔ならば、漫画自体が悪だと言われたりした時期もありましたが、最近は漫画すら理解できないと言う人も居るとか・・・それってやばくないですか?
それに速読で多数本が読めるとか言われてもね。
哲学書なんか速読して全て頭に入ってくるほど賢かったら良いのですけど、私のような悪い頭では哲学書読むのだけで一苦労、読んでも中々理解できないなんてことも。
まして、そんな速読で読むなんて無茶な話です。
そして、読むときは全力で頭を回転させている、ロートルな老化しつつある頭を回転させて。
高校生や大学生並みの回転が速い頭が欲しいのですが、残念ながら1960年製の旧式化した脳細胞では中々よくありません。
それでも、最新の頭脳には負けないで行動できるのは、常に論理的思考を意識しているからです。
未知の領域の場合、その現象から導き出せ論理を逆に分解していく。
これにより、導き出される1本の糸を見つけるようにしています。
こうすることで、何が一番大事なのか。
いわゆる論理の元を見つけることが出来る、そんな気がするのです。
ただ、気になるのは縁あって子供の勉強などを見る機会があるのですが、塾などで学ぶのは良いのですが、学習のテクニックだけで終わっていて、自ら論理づけて学ぶと言う事をしていないような気がするんですよね。
今度機会あったら、その辺実践してみようかな等と密かに思っている今日この頃です。
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