餘部橋梁物語 僕らの町に汽車がやって来た 第50話(最終回)
> そういうが早いか、二郎は早速子供たちを引き連れて残土処分のために設けられた一角で作業を始めるのでした。
> 駅の構築ももう次の段階に入ってきました、明日からは積極的に石を敷き詰めた上で土で固めるそんな作業が始まろうとしていました。
作業は、二郎たちの手伝いもあって思ったより順調に進み、さらには地域の人たちも子供たちに誘われるかのように手伝ってくれることとなったため、作業自体は管理前倒しで進めることが出来ました。
福知山鉄道管理局でも、仕事の進捗を監督していて最初は子供たちが手伝っていることに苦言を呈したものですが、今ではそうした地元の人たちの大いなる協力に心から感謝している、そんな感じでした。
やがて、駅ホームが出来上がると、小さな小さな猫の額ほどのホームですが、ちょこんとホームの真ん中には雨露をしのぐための屋根も付けられました。
駅へのアプローチは、今まで子供たちも一緒に石などを運んだ踏み固めた道をそのまま利用するということとなり、整備されることとなりました。
日に日に駅の形は整っていきます、そして管理局のほうでも運転ダイヤの修正が行われているのでした。
ホームは、国鉄の扱いでは「停留所」という位置づけで扱われることとなり、気動車といわれるディゼルカーによる列車だけが停車できることとされ、客車列車は引き続き通過することとなりました。
それでも、地元の集落から汽車に乗れることはとてもありがたくて、住民のみんなは開業するのを心待ちにするのでした。
そして、いよいよ昭和34年4月16日、餘部駅は開業したのです。
一番列車には、開業を祝う地元の人が一斉の日の丸の小旗を振って出迎えるのでした。
そこには、ガキ大将の二郎も、そしてこの駅建設のきっかけとなった鈴木一郎君もいました。
子供も大人もみんなとても嬉しそうです。
やがて、ファーンという軽い汽笛とともに最初の停車列車が駅に到着します。
餘部駅にはあふれるほどの人たち。
香住町香住観光協会からお借りしました。
http://kasumi-kanko.com/contentsu/amarube/amarube.html
みんな、みんな、笑顔で列車を迎えます。
ディゼルカーを運転してきた機関士も少し誇らしげです。
何人かはその初列車を楽しむため乗り込んでいきます。
やがて、ドアは閉まり列車は餘部駅をエンジン音だけを残して走り去っていきます。
周りにはまた静けさが戻っていきます。
町の人々は、口々に新しい駅が出来たことを喜びながら三々五々散っていくのでした。
さて、今回の駅を作るのに実際に尽力した猫尾や親方はここにいたのでしょうか?
いえ、彼らはここにはもう居ませんでした。
新しい現場でまた汗を流していたのです。
その現場は、餘部鉄橋が見えるところでではありませんので、当日の様子など知る由もありません。
でも、猫尾にはわかっていました。
俺たちの仕事は、名前が残るわけでもない。
でも、人々の記憶には残る、それだけでいいんだ。
そう自分に言い聞かせる猫尾でしたが、その言葉には寂しさは無く、むしろ自身に満ちた言葉として自分自身の中に入ってくるのでした。
そして実は、もう一つの理由があったのです。
それは、・・・・・。餘部橋梁物語番外編でお話したいと思います。^_^;
引っ張るなぁ。(^^ゞ