餘部橋梁物語 第22話 さて管理局では?
皆様こんばんは、今日もしばしおつきあくださいませ。
内容はもちろん、フィクションですが、自身の郵政局の経験を元に、国鉄でも本社なり管理局でもこんな雰囲気だったのではないかなぁと妄想しながら書いています。
> 季節は、すでに師走の声を聞く頃となっていました。
> そこで、本格的な工事は春以降に行うこととなり、ひとまずは、青写真とともに金庫に保管されることとなったのです。
季節は巡り、カレンダーはすでに12月、師走の最終週24日を指しています。
鉄道にとって年末年始は、郵便局の年賀状同様一番忙しい時期を迎えます。
特に現在のように、車での帰省など考えられなかった時代、年末年始の民族大移動は全て列車による移動でした。
当然、国鉄も年末年始の安全輸送をどうして乗り切るかが、最も重要な課題となってくるのですが、ここ建築課だけはどことなくのんびりとした空気が流れていました。
というのも、建築課というところは、駅舎やそれに付随する建物の建築保全が主な仕事ですからむしろ年末年始は閑散とする職場だったのです。
それと引き換え運輸部の気の毒なこと、すでに3日以上満足に係長以上は寝ていないのではないでしょうか?
そんな、ゆるい雰囲気の中建築課の中では少し間延びしたこんな会話がなされていました。
「もう今年も、終わりですね。」
「そうだね、今日は24日か。でも今年は、秋になって急に餘部に駅を設けるなどと言う話が飛び込んできてびっくりしたね。」
「ほんとだよね、確かに駅があれば便利だろうとは思っていたけど、本当に設置することになったとはね。」
「よほど、えらい先生が圧力をかけたのかな?」
「誰だい?」
「ほら、原先生だよ、原健三郎せんせい」
「ああ、あの先生か、でもあの先生は淡路の出身だからこちらの方はあまり関心ないんじゃないかな。」
そんなゆるい会話がされていました、このときはまさか、駅設置の原動力になったのが小学生の子供だったとは知りえなかったのです。
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