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努力するということを嗤う人たち
本日も少しだけ思うことをもうままに書いてみようと思います。
私が住む団地ではJ-comのケーブルテレビなのかもしれませんが、KBS京都が受信できるのです。
まぁ、そこで平日朝7:00~7:30に、「巨人の星」が放映されているんです。
「巨人の星」と言えば、第一期が1968年3月からだそうで、私も見ていたような記憶があります、我々ぐらいの年代から少し上の人はリアルに見ていたのではないでしょうか。
その後も、何度も再放送が繰り返されているのでご存じの方も多いかと思いますし、youtube等でもアップされていますので、誰でも容易に見ることは出来ます。
こうした根性ものと言いますか、自らの力で這い上がっていくというタイプのストーリーが昨今は、減っているように思えます。
今の時代に、奮励努力して自ら世界を構築していくというのは時代遅れなのかもしれませんし、現在のアニメーションが少年少女中心から、青年向けが中心になっているのもその傾向を加速させているのかも知れませんが。
いわゆる、異世界ものとか、転生ものが多いような気がします。
まぁ、他にも性や暴力を扱ったものも多いですが、この辺は貸本時代からのエロ・グロ・ナンセンスの頃とさほど変わりは無いので、省略するとして。
世の中が改変されたとか、主人公が異世界に転生したという設定が非常に多いように思えます。
これって、以前にも書きましたが、
現在の世界に対する疲れなんじゃないかなと思うわけですね。
現実から逃避したい。もっと言えば。SNS疲れからなんでしょうね。
SNSで著名人とも直接・・・ネット上とはいえ繋がれる。
実際には、SNSに漬かりすぎて結果的にSNSに縛られる。もしくは、SNSに搾取されていることに気づかない。
いな、気づいている人がそれを避けようとして、逆に異世界の改変や主人公の転生と言ったライトノベルなどに憧れを抱くのでしょうね。
まぁ、それとRPGの影響か、そうした世界に逃げ込んでしまおうとしているのかなぁと思ってしまうわけです。
SNSの世界に「現実逃避」しても、何ら自らの環境に変化はないわけですよね。
自らが逃げているだけですから。
最近、特にそう思うわけですよ。
自らが意識して変わらないと何も変わらないって。
誰かに頼ってばかりでは何も変わらない。
自ら何が出来るのか、何が必要なのか考える。
これが大事なのかなぁと、改めて色々と考えてしまうわけです。
それと、これも以前から指摘していることなんですが、自ら考えると言うことをしなくなっている人が増えているように思えるのです。
自ら考えず、すぐに現実逃避的にSNSの世界にのめり込んで、もしくは、政治家も含めて、大衆迎合しすぎる。
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基礎がないからゴールが動く、ゴールが動くから矛盾が生じる。矛盾が生じるから、余計に現実世界から逃避する。
結果的に、どんどん悪い方向に進んでも、文句を言うだけで何も変わらない。
そんな気がするのです。
昔のスポーツ根性漫画などを鼻で笑うのではなく、自らの困難を乗り越えるために、自ずと努力することを忘れては何も生まれない。
そんな気がするのです。
皆様は、どう思われますでしょうか。