人生の物差しについて考える
おはようございます、今日も少しだけ皆様に元気になっていただけるようなお話をさせていただこうと思います。
今日は特段良いお話が浮かばないので、故事ことわざ辞典から拾った言葉を自分なりの解釈を加えさせていただこうと思います。
http://kotowaza-allguide.com/a/akidaruwaotogatakai.html
今日の言葉は、「空き樽は音が高い」です。
「空き樽は音が高いとは、中身のない人ほどよくしゃべるということのたとえ。」だそうです。
私も常に意識しないといけないなぁと思うのですが、多少詳しかったりするとついついしゃしゃり出て喋ってしまう。
そうして、結局底の浅いことを露呈してしまって恥をかく・・・なんてことに。
俗に言う知ったかぶりですよね。
現在は、主な仕事でネットワーク関係をしているのですが、こうしたことも大変奥が深くて、学べば学ぶほど新しい疑問が出てくるのです。
ただ、経験値が浅いと、多少知っていると本当に全部わかったような気になってついつい大口を叩いてしまうんです。
あ、そのことなら僕はすごく詳しいよ・・・みたいな。
でも、それはあまりにも思い込みが激しいと思うんです。
逆に詳しい人ほど、そんな風な軽口は言わないものです
必要以上に話さないというか、黙って聞いている。
そして、ここと言うところで発言して、その場を収めてしまう。
だから、そうした意味では、詳しいと自認する人はさらに進んで探求して欲しいし、その道の専門家として一目置かれる存在になって欲しいです。
逆に知れば知るほど、ぼくその辺のことは詳しいよ・・・って言えないくなると思うんです。
私も鉄道を専門だよと言いつつも、鉄道に関連する労働運動史なんて学べば学ぶほど、深みに嵌って行ってしまって、寡黙になってしまう。
でも、お陰様でさらに自分自身がさらに専門家として深く思索する事が出来たかななんて思っています。
皆さんも、自身の中身を厚くして、深みのある人間になって欲しいし、そのためには、最初は大ざっぱな重さで良くても、だんだん細密化していけば微妙な重さの差でも比較できる天秤ばかりのように、人生においても経験値などを通じてより精査できる人生の物差しに変えていくことが大事なのかなと思っています。
それでも、「人生の指針」というか基本になるものは変えるべきではないですけどね。
これ自体が定まっていないと何時まで経っても流されてしまうだけの人生になってしまいますからね。