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三密を避けましょう

今日も思うままに思うことを思うままに書いてみたいと思います。

さて、今日は三密を避けようというお話しなのですが、コロナウイルスに関するお話しではありませんので悪しからず

相変わらずの言葉遊びです。

毎回同じような話になってしまい申し訳ないですが、人の記憶というのは何度も何度も上書きされると、仮想的な現実であってもそれが現実社会と同じように思い込んでしまったり。
過去の思い出が、どんどん浄化されて美しい思い出だけが残る
なんてこともあります。

昔は良かったと言って回想するのは、老化の始まりだと良く言われますが。
これは、脳が新しいことを受け入れることを拒否するというか、そうした神経細胞が老化に伴い上手く機能しなくなるかららしいんですね。

昔の思い出に浸ると言うことは、ある意味脳の回路を閉じてしまうそんな気がするんですね。
言わば蜜の状態を作って、空気を循環させる。
最近のはやりでは、三密、

換気の悪い《密閉》空間
多数が集まる《密集》場所
間近で会話や発声をする《密接》場面

ネットで見かけた言葉で、習近平ならぬ、集近閉なる言葉もネット上で広がりつつありますが、私たちは、年をとってくると、思考の三蜜(集近閉)が起こっているような気がします。

集・・・・新しい情報を積極的に集めない
近・・・・近しい人の考え方なり意見しか聞かない。
閉・・・・過去の経験に囚われ、新しい知識なり方法に対して門戸を閉じる

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そんな気がするのです。

三蜜を避けるために、適度な距離感、積極的な換気、手洗いの励行などが叫ばれていますが。

これを同じように、無理矢理当てはめてみると

適度な距離感・・・適切な知識の吸収
積極的な換気・・・積極的な知識の棚卸し
手洗いの励行・・・頻繁な知識の吸収と、自らの言葉で語ること

ごり押しは承知なんですけど、皆さんはどう思われますでしょうか。

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