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昭和は遠くなりにけり

今日は少し趣向を変えて私の警察官時代を回想してみたいと思います。

私は今年55歳ですが、私が働き始めた頃の55歳というと太平洋戦争に従軍したという上司も多く、私が最初の就職先であった警察では、その訓練はほぼ軍隊式(内務班ののり)であったのではないかと思わせるところが多々ありました。

時間厳守はもちろんですが、号令による行動を強く意識付けられました。

今も自衛隊ではそうした伝統が受け継がれていると思われますが、私たちが警察学校に入った頃、上司にそうした招集された人がいますので、そうした人が宿直のときは特に警戒したものです。(^^ゞ

と言うのが、定期的に気合を入れるために、理不尽なことを平気で先輩から言われる、殆ど言いがかりですけどね。

最初の頃は何ゆえそこまで言われるのかと思ったのですが、自分たちが先任【最も先輩と言う意味】に成ったときに、当時のいつもきつく言われていた教官に言われました。

最近、弛んできているから「絞めて来い」

いわゆる、いじめかと思うような理不尽な要求は実は教官から出ていたと言う落ちが付いていまして・・・。

今の時代なら、確実にブラック認定されそうなことが平然と行われていましたね。笑

でも、そうした厳しい、もしくは理不尽なことも結果的には結束を強める効果はありましたね。

でも、実際に現場に出たらそんな緊張感はどこへやらでしたから・・・何をいわんやでしたが。(^^ゞ

まぁ、昭和ということで振り返るならば、当時の警察の取り締まりものんびりしたものでした。

どこかに無言の阿吽の呼吸みたいなものがあったりしましてね、今でこそ、車の改造も緩くなって、エアロパーツも比較的自由でしたが、当時はかなり厳しくて・・・それでいて若者は反発してシャコタンにしたり、ハノ字タイヤ履かせたり・・・なんて時代でした。

そして、極めつけはキャブの換装でした。

当時の車好きの憧れは、ソレックスはウエーバー、独特の吸気音は車好きにはたまらないものがあるのですが、当然当時の法令でいくと整備不良なんですよね。

だから、そこを突くわけですよ。

まぁ、整備不良といってもその程度なら切符を切ることはなく、

「フムフム、ソレックスはこんな形で、・・・とか

L26エンジンにタコ足か・・・・みたいな、自分でわざわざ改造した車両の問題点を指摘するふりをしながら楽しんでいました。(^^ゞ

まぁ、実際に取り締まれる側も暗黙の了解で判っているので、反抗的ではないんですよね。

それで適当に、しらべて後はそのまま・・・。

時々ヤンキーホーンやミュージックホンを見つけたら、外させたりしてね。

それで解放したりするんですよ。

一応仕事したよという必要がありますからね。

それでいて、時に切符を切ると言う・・・結構、権力にかませて車の改造を見るのが楽しみにしていた悪い警官でした。(^^ゞ

もう今から30年ほど前の話ですけどね。

いい話が浮かばなかったので、だらだらと昔の思い出を語ってみました。

皆さんにとって昭和とはどんな時代でしたか?


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