若かりし日の思いで、郵政局編
今日も少しだけ若き日の頃の思い出を語ってみようと思います。
今では、「残業」というのは、=ブラック企業の典型 のように取られがちですが。
私が、郵政局に転用した頃(1988年ですから27年ほど前でしょうか。)は、残業するのが当たり前で、残業せずに早く帰ると白い目で見られたそんな時代でした。
今でこそ、EXCELやAccessを使って、効率よく出来る人は、さらにVBAなど使って、より効率的に仕事をこなして定時に帰るのが格好いいスタイルと言われていますが、当時はだらだらと2時間も3時間も残っているのが格好いいというスタイルで、課長が帰らないと部下が帰れない・・・そんな雰囲気でした。
本来であれば、課長が遅くまで残っても係長以下は早く帰るのが一般的だと思うのですが、全く違う世界でした。
郵便局では、定時になればさっさと帰るのが基本で、集配に至っては、当時は8時開始の16:20終業、速達便があったので遅出はありましたが、それでも17:30には帰ってしまうため管理者もさっさと18:00頃には帰ってしまうそんな時代でした。
それだけに、毎日20:00頃まで残る姿には驚きを禁じえませんでした。
聞けば、10年ほど前はもっと酷くて、勤務時間管理すら出来ておらず、係長などは昼から出てきて夜の22:00頃までなんていうとんでもない事があったそうで、郵政が三流官庁と揶揄された理由がわからなくても有りませんでした。(^_^;)
当時は、運輸省と郵政省は三流官庁というのがもっぱらの噂で、サンダルで庁内を歩かないなんてことも言われていました。苦笑
実際、私が郵政に転用した頃もサンダル履きの職員がまだまだ居ましたね。
そんな中、私は郵便局からいきなり、そうした部署に放り込まれたわけですが、特に何をしなくてはいけないというのが有りません。というよりも新人なのでアルバイトの人よりも仕事を知りません。
書類を届けたり、印刷物を持って行ったりの雑用が中心で・・・。
時間になって帰ろうとしたら帰ってはダメという。
事前に転用前に聞いていましたから、びっくりすることもないのですがちょっと面食らいますよね。
まぁ、そんな訳で何もすることもなく座っていても一向に帰ろうと言わない、18:00,19:00・・・20:00そろそろ帰るか。課長も帰ったことだし。
なんと、結局何もしないで超勤三時間?
こんな日がほぼ毎日続きます。
係長からは、何かしら仕事をする振りでいいから・・・なんて言われて。
それで、給料を期待するわけですよね。
でも、郵便局で働いていた時のように超勤発令簿がない。
聞けば月末にまとめて処理するという、ということで月末に超勤発令簿に押印しようと思ったら、いかんせん少ない、4時間程度しか超勤していないことになっている。
翌月から、超勤発令簿通りに4時間程度超勤してあとは定時に帰ろうかと試みましたがそんな雰囲気ではなくて結局はサービス超勤ばかり・・・その上集団的自衛権ならぬ集団的強制自飲権、を行使されて、連日近くの居酒屋で1時間ないし2時間、ミーティングと称して飲み会が続くんです。
私は、基本的に酒を飲まないので(全く下戸というわけではなく、誘われれば飲む程度)こうした集まりは苦痛でしか有りませんでした。
まぁ、それで当時でも2時間近くかけて通っていましたので家に帰れば連日23:00頃、その後風呂に入って寝たら朝、そのまままた朝6時半の電車で大阪に向かう、そんな日々でした。
今から考えたら、よく頑張って通勤したと思いますよ。(^_^;)
まぁ、それでも少しでも早く帰ってやろうという意識だけはあって、それで始めたのがパソコン(当事はOAパソコンと呼ばれたN5200)を使い始めたのですが、そのへんの話はまた明日以降にでもさせていただきます。