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学芸員になりたくて、北海道から京都の美大に入学した話

僕は美術大学の通信課程で、学芸員の資格をとりました。
8年前の2016年、37歳の出来事です。
フルタイムで仕事をしながら大学に通うのもそこそこな挑戦だと思うけど、当時の僕は北海道のど田舎に住んでいて、飛行機に乗るにも片道2時間かかって、おまけに通信課程なのに田舎すぎてネットが繋がらないといった環境で、逆境にも程があるといったなかでの資格取得でした。
そのときのことをお話しします。


1.まずは大学選び

学芸員になるには、大学の学芸員課程に通わなくてはいけない。
タイトルにもあるように、僕は京都にある京都造形芸術大学(現在は京都芸術大学に名称変更。略して「京芸」)の通信課程に通うことにした。
当時、社会人向けの学芸員の通信課程のある大学が6〜7校あって、そのうち「京芸」は最短の1年で取得できた(カリキュラムの工夫と、自前で美術館を持っていることによる)。
また、通信課程といっても11日間は対面でのスクーリング(講義と実習)を受ける必要があって、「京芸」は京都のメインキャンパスの他に、東京都内にサテライトキャンパスがあった。
東京キャンパスなら、北海道から新千歳空港経由でアクセスがしやすい。スクーリングは土日に行われるから、金曜日に仕事を終えた後、最終便の飛行機に乗って、土曜日の午前中から講義をうけて、日曜日の夜に北海道に戻る、ということができたのです。


募集要項

というわけで、2016年の2月に「京芸」を受験した。
願書を送って書類審査をうけて、3月に合格通知が届いて、4月から美大生になりました。

念のため書いておくと、当時の僕の身分は「科目等履修生」になる。
美大生ではあるけれども、学芸員過程のみの履修生であって、学位はとれない。つまり美大卒とは名乗れない。
「偉大なるギャッツビー」のJ・ギャッツビーが、オクスフォード大学に通ったことはあるけど卒業してるわけじゃない、みたいなものですね(本当かな?)


2.いよいよ授業開始

最初のスクリーング(講義)は4月3日〜4日の土日に開講されました。
場所は外苑にある大学の東京キャンパス。

京都造形芸術大学外苑キャンパス


この日は、ガイダンスとカリキュラムの説明が中心です。

最初に学生の自己紹介。
今日集まっている学生の数は40人くらいで、女性のほうが多くて、30代が中心。男性のほうが年齢層が高め。
半分くらいが、今現在、美術館とか博物館とかで働いている方の様子。

ガイダンスを聴いていると、レポートが意外とハードであることに気付かされる。
最初に提出することなった「博物館概論」のレポートは、2館以上の博物館や美術館(以下、まとめてミュージアムと言います)を実際に見学して、展示のコンセプトなどを考察する、というもの。
そういったレポートが年8単位あって、同じ数だけ試験がある。
それにミュージアムで実地に学芸員の仕事を体験する館園実習を受ける必要がある。

こういったカキリュラムは、とうぜん、募集要項にもちゃんと書いてある。
でも、僕は、この日の説明を実際に聞くまで、実感がなかった。
講義室に座って、教官の話を聞いているうちに、「なんか大変なことを始めちゃったぞ」と思い始めました。授業料もはらっちゃったし、もう遅いのだけど。


3.スクーリングで学んだこと

このあと、スクーリングは6月、9月、12月に開講されました。
東京国立博物館などミュージアムにみんなで見学にいくこともあったし、各地の博物館の職員を招いての講義をうけることもありました。
また、実習形式で、美術品の取り扱い方を学ぶ講義もあった。
これには本当に感動した。
絵画やポスターを、等間隔に、歪みなく、ちょうどいい高さで展示する方法が実践的に学べたのです。
おかげで、僕はいまでも勤務先の広報イベントとかにパネルを展示するのがとてもうまかったりします。

当時のノート。掛け軸の扱い方を学んだもの


4.予想外にミュージアムによく行った

さっきも言ったように、レポートとか見学とかで、実際のミュージアムを訪問する必要がありました。レポートの締切とかスケジュールがけっこう忙しいから、4月のスクーリングを受けた次の週には、札幌まででかけて、北海道立近代美術館と本郷新記念美術館に行ったりした。
当時のメモを見直すと、1年間で16件のミュージアムに訪問している。1日で3件はしごしてるときもあった。また、自宅周辺には適した美術館がなくて(さっきも言ったように、自宅は北海道のど田舎である)、飛行機にのって1泊2日で横浜まででかけたこともあった。

これだけ訪問したけど、展示物はほとんど印象に残っていない。レポートのテーマによって、作品の並べ方とか、案内板の場所とか、お客さんの動線とか、いわばミュージアムの仕組み的なところばかり見ていた。
当時の写真をみても、国立科学博物館の「ご意見募集箱」とか、三菱みなとみらい美術館を見学してる幼稚園児とか、正体不明なものばかりである。


三菱みなとみらい技術館(の見学してる子供たち)


神奈川県歴史博物館(のアンケート回収箱)


北海道立近代美術館(のバリアフリー表示)


5.通信課程なのにネットがない

これだけスクーリングとかミュージアム巡りとかしているけど、通信課程だからレポート提出や試験はWebからです。
でも、困ったことに、自宅でネットが繋がらない。
当時住んでたのは、北海道の日高地方のほんとうに山奥で、光回線もADSLも届かないし、転勤前から持っていたWimaxも圏外だった(人口カバー率90%のくせに)。

履修するには、ネットが届くところまで移動するしかない。
ノートPCとモバイルルーターをもって、15km先のマクドナルととか、図書館の自習室にいったりした。
(あと、イオンのフードコートで、KFCを食べながら履修したこともあった。オリジナルチキンは腹持ちいいし、ビスケットについてるメイプルハニー美味しいですよね。ありがとうKFC!(わざとらしいヨイショ))

場所もさることながら、時間的にも結構シビアである。
さっきも言ったように、レポート年8件+試験。履修期間がばらけているとは言え、多い時には月に3本のレポートとか試験の締切がある。その間にスクーリングもある。
土日だけ取り組むのは間に合わないから、平日の仕事が終わった後にレポートとか試験勉強とかに充てる必要もあった。

当時の12月某日の日記を読み返してみると、仕事が終わってからマクドナルドに行って期末試験を2科目受けている。
1科目は順調に終わって、2科目目の準備をしているうちに21時になってしまい、その日は火曜日で22時からドラマ「逃げるは恥だか役にたつ」があるから急いで試験をうけた、なんて書かれていた。
当時はWeb配信もないし、「逃げ恥」にまにあってよかった、新垣結衣さんは今でも可愛いですよね、、、じゃなくて、本当に時間を削って勉強していた。
今では22時をすぎると眠くなる、という生活なのに、我ながらよく頑張ってたものである。


6.美術館で実習

カリキュラムのハイライトは、実際のミュージアムで学芸員の仕事を体験する館園実習でした。
場所は京芸附属の康耀堂美術館(長野県茅野市)。
近くの別荘地のホテルに合宿して、2泊3日で行われた。

康耀堂美術館

美術館では次の週からコレクション展が控えていて、この実習での課題は

1)それぞれ担当作品のギャラリートーク(学芸員さんから来場者への作品説明)を作成する
2)グループごとに展示予定作品のレイアウト案を作成して、プレゼンする(最優秀のチームのレイアウトで実際に展示される)

でした。

ギャラリートークの担当作品は、山岳風景画で知られる洋画家・田村一男氏の「なすのふゆ」という作品でした。
課題は事前に出されていたので情報を集めていたけど、「なすのふゆ」はこの美術館でしか展示されたことがないようで、実習当日まで実際の作品をみることはできない。
そのため、同氏のコレクションに力をいれている松本市美術館から過去の図録や資料を取り寄せて、田村氏の他の作品や画風について勉強していた(けっこう苦労して実習に持っていったけど、資料は全部美術館の資料室にあった)。

苦労して持って行った資料とか画集とか(重たい)。

もう一つの課題のレイアウト案は、学生さんのなかに本職の美術館スタッフもいらっしゃるせいか、結構、みんな真剣である。
グループによっては、美術館の職員さんに頼み込んで、夜中も美術館に残ってプレゼン準備をしたところもあったそうだ。
僕はというと、熱意のない、、、いや、オンとオフを切り替えるタイプのグループだったので、終了後は連日ホテルで酒盛りをしていた。
これがまた楽しかった。
話題も合うし、みなさん大人だから話もうまい。
講師の先生も一緒になって酔い潰すことができたし(これは、正直、申し訳なかったかもしれない)楽しい夜を過ごすことができた。
(なお、当然のように(?)僕たちのグループの案は採用されなかった)


美術館で展示準備にかかる学生たち
レイアウト案の作成。図面上に写真を並べてみる。


立体模型もつかって、シミュレーションする


7.お金の話

さて、かかった費用。

学費(入学金+授業料) 45万円
交通費(航空券、宿泊費)4回の通学で14万円くらい
実習費用(交通費、宿泊費)6万円くらい
書籍類 2万円(指定された教科書のほか、参考資料として購入した画集など)

その他諸経費含めて、70万円くらいかかったことになります。
当然だけど、社会人だから、自分持ちです。
ただ、学費は教育給付金制度の対象となっていたので、履修後に2割戻ってきました。
コスパについては、よくわからない(学費だけで言えば、もっと安い大学もある)。


8.達成したこと

かくして、1年の時間と労力と、そこそこのお金をかけて、学芸員の資格をとりました👏

修了証

勉強してよかったこと。

まずアートの取り扱い方が学べた。
さっきも書いたように絵を壁にかける方法もそうだし、薄葉紙に包んで保管する方法とか、絵巻物の正しい開き方とか、(趣味で楽しむには十分な)基礎的な扱いが身についた。
この後、実際に自分でもアート作品を購入したりしているけど、基礎知識があるのはずいぶん役になった。

次に作品以外のミュージアムの楽しみ方や着眼点が変わった。
それまでは美術展を観るにしても、単体の作品を観るだけだったけど、学芸員課程で学んだときは、その展示をその美術館でやる意味とか、背景や経緯まで考えるようになった。
多くの場合、その時の時代背景とか、美術館の地域性に関係してくるから、自然に社会全体とか歴史も考えるようになる。
僕はその後、横浜に移り住んだけど、学芸員取得をきっかけに横浜市美術館のサポート会員になった(現在は休館に伴い停止中)。その地にある美術館をより深く知るためだ。

また、そもそもチャレンジすることへのハードルがずいぶん下がった
1年間だけとはいえ、時間も費用もかけて、おまけに遠距離まで足を運んで、達成できたわけである。
最初の講義で「こりゃ大変だぞ」と思ったけど、なんとかなっちゃうものである。

僕はときどきマラソンを走っていて、年に1回はハーフかフルの大会に出場しているけど、大会の当日にスタートラインに並んでいるときは、毎回後悔の念に襲われている。
「前回もあんなに苦しい思いをしたのに、またこれから走るのか。なんで申し込んじゃったんだろう」と思っている。
でも、スタートしちゃえば、あとはもう走るしかなくて、ゴールする頃には楽しくなって、次の大会に申し込んだりしてる。
最初の講義で感じた不安は、これと同じようなものかもしれない。

学芸員課程が終わってから、これまでにバイクの免許を取りに教習所に通ってみたり、FP3級とか、ITパスポートとか、お肉検定1級とかの資格を取ることにつながっている。
チャレンジのハードルがずいぶん下がったことが、いちばん良かったことかもしれない。

まとめ

けっこう頑張って資格ととったけど、ただ、いま思い返してみると、それについて「苦労した」という印象は全然ない。
やっぱり好きなことを勉強するのは楽しかったんだと思う。

そもそも、なぜ学芸員の資格を取ろうとしたかというと、当時、仕事がなかなか大変で、転職を考えたことがきっかけだ。
自分が何をしたいか考えた時に、いちばんやりたいことが「美術館で働く」ことだったからだ。

結局、転職はしていない(転勤はした)。
それでもちゃんと資格はとったし、選択肢が一つ増えた。
できることが増えたこと、これも挑戦して得たもののひとつです。


<参考>



#挑戦してよかった


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