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リストラーズ バラードセレクション  ④青春の影

はじめに

 「青春」。なんと儚く、甘酸っぱい言葉でしょうか。
 とうの昔に通り過ぎた、二度と戻らない輝き。遥か遠くなってしまった気がする一方で、確かに今の自分と地続きで、振り向いて手を伸ばせばそこにある気もする。何なら、気持ちだけならいつでも戻れるような気もするのです。まあ、気のせいなんですけど…。でも、分かっていてもちょっとだけ、心がチクッとするんですよね。
 この曲は、そんな「青春」との別れを歌った曲だと、筆者は考えています。きっと、学生時代のリストラーズでは歌えなかった曲なのではないでしょうか。すっかり大人になった彼らが歌うことで、説得力が生まれているように感じます。

 ということで、バラードシリーズ久々の第4弾、「青春の影」です! 

リードボーカルについて

 さて、リードの野村さん。別の記事「リストラーズ野村さんの魅力を語る」でも触れたとおり、曲の魂が憑依するかのごとく、曲ごとに違う印象の歌声を聴かせてくださる。
 この曲の場合、野村さんの歌声は、涙が出そうなほどに柔らかく、温かい。残雪を融かし、長い道の途中で立ち尽くす人をそっと包む春風のような。迷う若者を温かく見守る落ち着いた大人の包容力を感じさせる、そんな音色だ。

 曲の初めは、コーラスもリズム隊も入らない、完全なソロ。野村さん一人の歌声が、純粋な響きとなって、心に沁みる。特に、最初の「き」。この時点で、曲の雰囲気、空気感のようなものが完成しているように思えるのだ。優しく、柔らかく、温かく、しかし力強く。そのすべてを、歌詞とも言えない一音だけで、聴く者に感じさせてくれる。これが「表現力」というものか。
 
 曲を通して感じるのは、歌詞をとても大切に歌われているということ。サビで大きく盛り上がるような曲調ではなく、全体的に落ち着いているのだが、ただ淡々としているのかと言うと、決してそうではない。
 一つ一つの言葉が丁寧に発音されていて、聴く人の心に沁みこんでくるようだ。さらさらと流れていくのではなく、しっとりと。軽やかさは保ったままで、耳に確かなぬくもりの感触を残していく。
 実は割と難解な歌詞で、歌詞だけを読んでみても、今一つ意味が分からなかったりする。それなのに、野村さんの声で歌われることで、何となく、分かる気がしてくる。

 何の重荷もなく、自分だけの大きな夢を追い、今の自分ではない何者かになろうとしていた男性。夢中で走っていた時間はまさに、「青春」そのもの。その中で出会った女性との間で、恋の喜びという、それこそ眩しいばかりの「青春」を謳歌した彼は、その先にある愛の厳しさを乗り越える中で、新たな道を見つける。
 彼女とともに生きるために、その人生を支える重さを受け止めるために、その道を足元に確かめる。地に足の着いた、何者でもない「ただの男」になるという決意。それは、「青春」との幸せな決別なのだろう。
 ケンカ別れではない。だから、彼の「青春の影(面影)」は、大切な思い出として記憶の中で輝き続けるのだと思う。懐かしい温もりと、ほんの少しのほろ苦い切なさを伴って。

 野村さんの表現力を考えた時に、歌声から感じられる「温度」や「柔らかさ」は大きなポイントのような気がしている。例えば、先に記事にした「セーラー服と機関銃」では、むしろクリスタルガラスのような、涼やかで硬質な印象を受ける。
 他の野村さんリード曲と比べると相対的に音域が低めだが、一貫してファルセット寄りの柔らかい音色を保たれている。チェストボイス主体の発声のほうが楽であろう部分も多々あるので、これは意識的にやっていらっしゃるのだと思う。おそらくは、原曲の財津一郎さんの歌声を意識されているのだろう。
 歌声の温度と硬度(時には湿度も)を自在に調整し、歌詞の力に頼らずに音色一つで歌の世界を表現してしまう野村さんは、筆者から見れば、まるで魔法使いだ。ほんと、どうなってるんですか??

 なお、冒頭のフレーズに出てくる「長い」の音は、件の「セーラー服と機関銃」の歌詞の入りと同じ高さの音(G4)である。高めの音色を持った女性が歌う時のG4と男性が歌うG4では、同じ高さでも受ける印象は異なる。それを歌い分けていらっしゃるのも、役者だなぁと感じる部分だ。
 この曲は、男性には出しづらい高音と女性には出しづらい低音を共に含む、実に難儀な音域なのだが、「女性並みの高音域を持つ男性」である野村さんにはぴったりだ。ある意味、これ以上ないくらいにハマった選曲なのだと思う。

コーラス&リズム隊について

 筆者の最推し氏がリードであるというだけでなく、動画の中盤は彼らの「青春」の1ページと言えそうな素敵な写真の数々が主役になってくるだけに、コーラスやリズム隊の動きは、全体的に抑えめになっているように感じられる。意識して聴こうとしなければ、「伴奏」として流れていってしまう。それはそれで、本来の在り方とも言えるのだけれど。
 その中で、印象が強いのはやはり、リードに寄り添う加藤さんの字ハモ。穏やかで柔らかい加藤さんの歌声は、野村さんの歌声との相性が最高で、歌の世界にさらなる奥行きと彩りを添えてくれる。例によって「セーラー服と機関銃」と共通することだが、途中から加藤さんのハモリが加わる瞬間、静止画だった景色に暖かな風が吹くようなその瞬間が、ゾクゾクするほど好きだ。

 コーラスで言えば、草野さんの繊細な高音も印象的だ。この曲に限らず、草野さんの歌声は千変万化、その時々に必要となる役割に応じて幅広く変わっていくので、誰の声か分からないときは大抵草野さんだったりするのだが、今回もまたすごい。
 そもそも高音というのは、目立ってしまいがちだ。音量は大島さんの神の手が入るとしても、安定した発声を保ったうえで音色自体を細く調整するのは、それなり以上に技術が必要なはずである。少なくとも筆者にはできない…(比較すること自体が失礼だが)。

 また、意外だったのが、最後の「ただの男」の部分の上ハモリ。澤田さんだ。野村さんのリードの旋律が低めのところにいるとはいうものの、コーラスの中では低音担当が基本ポジションの澤田さんを、上ハモリに持ってきているのだ。
 後ろの部分の構成的に草野さんを持ってこれなかったのは分かるとしても、それまでの曲中で字ハモを中心的に担当していた加藤さんでもよかったはずのこの部分で、敢えての澤田さん。澤田さんの高音域はとても爽やかな印象なので、それを狙った感じだろうか。加藤さんの甘み・温かさも素敵だけれど、曲の最後に当たるこの部分を敢えて爽やか成分多めにすることで、アールグレイのレモンティーのように、すっきりと香る後味になっている気がする。(加藤さんだと、ダージリンなイメージ。)

 続いて、大西さん。全体的にスローなテンポなので、ベースも刻むというよりは伸ばす音が多いのだが、あまりの安定感に、今更ながら圧倒されてしまう。当たり前のような顔で演奏されているけれど、伸ばしている間にも一切音が揺れないのは、本当にすごい技術だと思う。
 また、これもまた今更の話だが、曲によってベースの音色が少し違っている気がする。ボイパと一体化するような、力強く鋭い発声の曲もある一方で、この曲では、非常に柔らかくまろやかな音色になっている。大西さんにはエフェクターが内蔵されているのだろうか。謎である。

 最後に、上村さんのボイパ。印象的なのはいわゆるシンバル音、ピシィ!という音だ。本来はドラムセットのシンバルを再現した音のはずだが、この曲では、少し違う使われ方になっている気がする。シンバルよりも鋭さが抑えめで音が丸い印象なのだ。
 こうした調整は本物のドラムセットでは不可能なのではないかと思う。ボイパの強み、ともい言えるのかもしれない。筆者はあまりにも門外漢なので、あてずっぽうにもほどがあるのだが…。

 こうしてみると、総じて音色が柔らかく、穏やかな印象にまとめられているのが分かる。音程とか言葉の発音ならともかく、声・音の音色の方向性をピタリと合わせてくるのは、長年の経験のなせる技だなぁとしみじみ思う。あの写真の頃からずっと弛まず、積み重ねられてきたものだ。
 終わることも決別することもなく、長い旅路に付きあってくれる成熟した「青春」というのも、あるのかもしれない。

おわりに

 私事ですが、この記事を書き始める直前、祖父が他界しました。もうすぐ100歳だったのに、実に惜しい。
 大正生まれの祖父の青春は、まさに第二次世界大戦の時期に相当します。士官学校?に行っている間に終戦したと言っていましたが、それ以上のことは話してくれませんでした。大変なことも多かったでしょうに。大正・昭和・平成・令和と、4つの時代を飄々と生きた人でした。
 その祖父が、先月あたりから急に、自身の子供や私を含めた何人もの孫に、大量の手紙を書き送り始めました。多忙で5日ほど郵便受けを覗かずにいたら、祖父からの封書が3通入っていて仰天したのは、3週間ほど前のこと。
 内容は、自身の出生地から始まる生い立ちなどのようです。というのは、残念なことに内容の大半が読み取れないのです。この時既に重度の肺炎で入院していた祖父は、今にして思えば、自らに残された時間の短さを理解して、伝えたいと願ったことを必死に書き留めたのだと思います。ですが、いかんせん、きちんとした文字を書くために必要な視力も握力も、すっかり弱ってしまっていたのですね。
 あの時代には珍しい、フルタイム共働き(祖父は自営業、祖母は正社員)だった祖父母。祖母(5年ほど前に他界)のほうがはるかに稼ぎが良くて、2軒の家をほぼ祖母の収入で建てたのだとか。祖父はと言うと、二人の娘である母に言わせれば、やりたいことをやりたいように、とても自由に生きた人だそうです。そんな二人の「青春の影」が、大量の便箋を埋める判読困難な文字の中に埋もれているのではないか。そう思うと、解読チャレンジがやめられずにいます。
 長い人生、お疲れさまでした。天国で、ばあちゃんと仲良くね。