【堕落】まともじゃない読書感想文#01【同人】
はじめに
ブルアカ成年向け同人誌の感想文です。は?テーマを絞ってさくっと書きます。
感想文ってことは当然内容に触れるんで一応ネタバレ注意
……あのさ、これユーザー側で年齢制限かけられないのかなァ??
まあ直接的な単語は一切使ってないので大丈夫かもね
作品紹介?と前書き
今回はこちら
伊ダ落(Horizontal World, C103, 2023/12/31)https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=2194791
ちなみにBAは昨年の9月にはじめました……やや新規勢?
マリーは弱体解除ってのが肝だけど、他のスキルもエグい壊れみたいなのがないから、やはり限られてくるんですよねー……
感想
対比構造
この作品における「罪」には以下のものが該当すると思います。
先生の抱える、生徒に対する劣情
その劣情に許しを請うのではなく、逆に応えてしまいたいというマリーの不埒な思い
マリーが先生と同じことをしてしまうという「同罪」
先生と生徒という関係を超えて、両者が堕ちることそのもの
物語が進むにつれてこれらがこの番号順に顕在化していくのですが、それに対するマリーの「理解」が進んでいく様子というのが非常にわかりやすく緻密に描かれています。先生の抱える罪の告白に対して、最初は「告解」という形で寄り添おうとすることを決心する。しかし、いざそれを目にした途端、その決心の中には淀みが見え始める。告解を重ねるうちにその淀みがだんだんと侵食され、挙句の果てには自身の部屋で顔を差し出すというもはや修復不可能な段階まで達し、最終的には自身の純潔と共に脆くも崩れ去る。この構図は美しいことこの上ない。これは最初と最後、聖と罪、という対比的構造を取っているといえます。このような「自身の欲望というものに侵食されていき、最終的に自身の理性の制御を超えた欲によって罪を受け入れてしまう様」というのは僕はとても好きです。
また
という言葉が示すのは「本来感じる筈の物理的な痛みでさえも超えるような歓びが、罪、欲にまみれた行動によって与えられる」ということなのでしょうが、これにも対比構造が含まれている。しかも、痛みと歓びという関係を上から制御しているのが聖と罪(罪を犯しているせいで歓びを感じている、この2つで上層(罪)・下層(歓び)関係になっている)で、しかもこの層の違いを超えた「歓びという正の感情」と「罪という負の意識」が対比になっているという複雑さもかなり応えるものとなっています。
そして終盤、その「最中」にマリーが先生に言葉を告げるのですが、それは彼女の内心とは矛盾しているように感じられます。
真の愛であるという証明をしなければならないという口ぶりですが、内心でははっきりと自分達の行為を「罪」と認識している……彼女の発言の真の目的は、先生との快楽行為を完遂することと言ってもよさそうです。もはや言い訳もできないほどの自己の堕落を、自分自身で証明してしまっている。この抗えなさもすばらしい。
裏切り、そして宿命(追記)
読み直して気付いたのですが、「先生のを受け入れる」っていう現象は同時に「苦しみを解くことに対する裏切り」とも言えるのではないかなと思いました。
当初の「告解」の目的は、どうすることもできない欲求をマリーの赦しの下で解消することだった筈ですが、一度行為に及んでしまえば、それはもはや「正しい方向への解消(つまり告解)の手助け」を自ら否定していることに等しいと思います。見方を変えれば、マリーは先生の「告解という正しい手段で罪の贖いをする」という気持ちを台無しにしている……これはある種、先生の(正しい)気持ちに対する裏切りとも言えると思います。
ですが、先生は作中でどういう立ち回りをしているのかというと、生徒の部屋に入る→告解をする→耐えられなくなりそのまま……です。劣情を抱いていることを百歩譲ってしょうがないと考えてもこれは流石にマトモな行動ではありません。僕が見るに、これはある種♂としての宿命としか言いようがないでしょう。絶対に避けることのできないものには、抗いようがない。……そんな Ordinary なものを逆に映えるように魅せるのは、作中での段階(告解の提案、手、部屋侵入)を踏んだ末の「理性のブレイク(崩壊)」が描かれているからだと思います。
……ですが、これは上記の通り、マリーも同じなんですよね。―――ここまで考察してようやくこの言葉の意味が深くわかった気がします……
作画
エッッッッッッッッ
本能に訴えてくるヤバさ
マリーかわいいね……まつ毛Ecchichi
まとめ
罪を自覚しながらも自身の気持ちと快楽に抗えない……
やはり伊落マリー……キミには退廃が似合いすぎる。
画像: © NEXON GAMES, Yostar