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方丈記に嫉妬して
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず
誰もが一度は聞いたことがあるであろうこの一節。
私はこの美しい文章が好きで
何度もここを目指し言葉の旅を重ね、
未だ辿り着けない鴨長明『方丈記』に嫉妬している。
鴨長明が生きた時代
鴨長明は、平安末期から鎌倉前期の人物である。
彼は40歳を迎えるまでに
『世の不思議を見る事、ややたびたびになりぬ』と綴っている。
『世の不思議』を時系列で紹介すると
安元の大火…
都を襲った大火事。
治承の辻風…
塵旋風、大気が渦巻き状に立ち上がる突風。
福原遷都…
平清盛主導で進められたが未完に終わった遷都。
養和の飢饉…
降水量が少なく、作物の収穫量が激減した。
元暦の大地震…
1185年8月13日に日本で発生した大地震(推定M7.4)
長明さんの身の上も紹介しておくと、
なんと下鴨神社の跡取り息子で裕福な家に生まれている。
しかし、跡取り候補は長明さんだけではなくライバルが多くいて、また神職よりも和歌に長けていたことを理由に神社を継ぐ事ができなかった。
幾多の災害を経験し、跡取り争いにも敗れたのち彼は出家を選ぶのだが仏教に没頭したという訳でもない。
のちに彼は山中の川沿いに小さな家を作り、時には琴を奏で、時には歌を詠むという生活をする。
『読経まめならぬ時は、みづから休み、みづから怠る』
気が進まない時には、お経を休んでも良いという自分ルールだ。
好きなことをして生きていく、
その言葉を体現した人こそ鴨長明なのだ。
美しく正確な描写
不謹慎な言い方をするかもしれないが、
鴨長明が表現する災害の描写が非常に美しい。
印象的だったものをいくつか紹介しよう。
治承の辻風、巻き上がる風を見て
『家のうちの資材、数を尽くして空にあり。』
安元の大火で燃え広がる炎を表した
『吹き迷ふ風に、とかく移りゆくほどに、
扇を広げたるがごとく末広になりぬ』
飢饉の中、自分のことは二の次にして
家族や他人を想う様子
『その思ひまさりて深きもの、必ず先立ちて死ぬ。』
大地震を目の当たりにした
『山は崩れて川を埋み、海は傾きて陸地をひたせり。』
『地の動き、家の破るる音、雷にことならず』
古文的な表現が多いものの、現代の私にもそ意味や情景がはっきりと伝わり、なおかつ美しい。
扇を広げたように燃え広がる炎、なんて表現をされてしまっては完敗である。
実際に災害を見て記しているのだが、みずからも被災している中、あたかも別次元で見ているような描写は、やはり書き手としての才能なのか。
2022年現在も、大地震の危険が迫っている。
私は長明さんのように、いつかくるその時を正確に、美しく書き残せるだろうか。
方丈の庵
長明さんは災害と並行して、
常に住居のことを気にかけていた。
辻風によって破壊されたもの、
火災で焼失したもの。
遷都による取り壊しと再建、
しかし遷都は頓挫。
そしてやってくる大地震。
再建できる財力がある者は良いが、
そんな人ばかりではない。
『仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主とすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。』
また人間関係の煩わしさも知った。
跡取り争いでは権力に屈し、
父の神社を継ぐことができなかった。
飢饉の頃には昨日まで偉そうにしていた貴族が、
米を求めて農民に頭を下げる様子も見てきた。
『世にしたがへば、身苦し。従わねば、狂せるに似たり。』
『人の栖の儚さ』を身を持って知った長明さんは晩年、その境地にたどり着く。
方丈記の後編は、自作の家と自由な暮らしを誇らしく語っている。
『六十の露消えがたに及びて、さらに末葉の宿りを結べる事あり。』
60歳になる頃、ついに究極の住居を建設する。
『老いた蚕が最後の繭を営むようなもの』だと、
これまた美しく表現したその建物は、
『広さはわづかに方丈、高さは七尺がうちなり。』
しかもこの住居、組み立て式であり
解体すると押し車2台に収まるという。
内装も充実している。
東側に寝床、北側には仏教(阿弥陀仏)の間、隣には和歌の書があり、壁には琵琶や琴が立てかけてある。
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『ほど狭しといへども、夜臥す床あり、昼居る座あり。
一身を宿すに、不足なし。』
全くその通りである。
災害や立身出世の憂いは過去のもの。
ついに答えを見つけた長明さんの言葉を、
現代語訳で紹介する。
ヤドカリは小さな貝を好む。
これは一朝事ある時どうなるかを知っているからだ。
ミサゴは荒磯にいる。
これは人を恐れるからだ。
ここから先は、
正直読んでいると羨ましくなるばかりだ。
好きな時に自分の為だけに琵琶を奏で、
気ままに山菜をつみに出かける。
人間は良い人ばかりではない、裏切る者がいたり、
お金が目的だったりする。
それよりは友などつくらず、
花や月を友とした方がずっと良い。
***
私は日常で、方丈の庵を感じることが度々ある。
東京へ遊びに行った際、人の波に揉まれ、
ゆっくり本が読める場所を探していた。
スタバやドトールはことごとく満席。
やはりここには私の居場所はないのかと
途方に暮れていると、
1Fがパン屋、2Fがイートインスペースになっている
お店が目に止まる。
注文し、2Fへ上がると先客はわずか1組。
私は椅子に腰掛け本を開く。
そこは間違いなく、都会の中の『方丈の庵』だった。
私は数年前まで実家の一軒家に住んでいた。
しかし私が一日を過ごすのは6畳の一部屋のみ。
親戚の出入りも多く落ち着かない日もあった。
一人暮らしを始めてから、小さな賃貸の部屋ながら
自分だけの時間を過ごす事が出来ている。
広い部屋なんて必要ない。
無理して人と交わる必要はない。
がんばらなくてもいい。
私は気づいた。
ただ自分が好きな時に、好きなことができれば良い。
穏やかな青に包まれた小さな島で
静かに息を繋ぐ私、
方丈の庵にて、これを記す。
***
今回、記事を書くにあたり
参考にしたのはこちらの書籍です。
著者の中野孝次さんが作中で『長明さん』と呼んでいたので、私も同じように呼ばせて頂きました。
現代のミニマリスト、長明さんに興味を持たれた方は
ぜひご一読ください。
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