城のことばを聴いている
私は城が好きだ。
そんな私を皆が不思議そうに見る。
かっこいいから、歴史が好きだから。
理由はいくらでも作って答えられるが正直、私にはどれもあてはまらなかった。
好きな理由をずっと探していた。
今回、幻冬舎の『城郭考古学の冒険』の力を借りて、その疑問を解決していこうと思う。
城を感じる
私は沖縄に住んでいるので
城といえばこのような座喜味城跡、勝連城跡のような石垣を想像する。
どの城でも敷地に足を踏み入れたときからストーリーは始まる。
城内へ続く石畳の傾斜が緩やかであれば、
私は客人として歓迎されている。
もし、入り口の時点で険しくゴツゴツした石積みの階段であった場合、私は城に攻め入る敵の感覚になってしまうのだ。
私の感覚で前者は座喜味城跡、後者は勝連城跡だった。
『城郭考古学の冒険』の中で著者の千田嘉博先生も、城の鑑賞術として、どのように守りどう攻めたかを考えることを紹介していた。
書籍で解説されていたのは安土城や大阪城など日本列島の城が中心だったのだが、同じ考えをもっていたことに驚きつつ、嬉しくもあった。
私は日本本土の城についての知識はかなり疎いのだが、これから訪れたときに楽しめるいくつかのポイントをあげてくれていたので紹介したい。
①櫓、門を読み解く
例えば姫路城、三階建ての櫓門が突然立ちはだかる。
そして二階三階の窓や銃眼を確認し、いきなり絶体絶命の状態になったことがわかる。
二階の開閉可能な床穴や、城から張り出した部分から投石して攻撃が可能な『石落とし』も存在する。
また姫路城の特徴である白漆喰は、当時最先端の防火設備でもある。
②石垣は歴史を見てきた
経年劣化や空襲などで崩れて、度々修理が行われている名古屋城だがかつては加藤清正が工事を担当したことがあった。
清正と家臣は石垣に銘文を刻んだのだが、その後江戸時代に尾張藩が再び修理を行った際、隅石を一旦はずし積み直そうとしたがうまく積むことができず、銘文が欠損した形で残っているという。
【積みかたの違い】
江戸時代は算木積みの石垣が多かったので、従来の城郭研究では算木積みが正しい積み方で重ね積みは下手なやり方だとしてきた。
しかし先程もお話しした加藤清正は重ね積みを用いり、
手がけた熊本城は、熊本地震を耐え抜いた。
よって、重ね積みはもうひとつの正しい積み方なのである。
③堀を知る
弓矢が主力兵器のとき、堀幅は5〜10メートルでも機能したが、鉄砲の時代になると20メートルを超える堀が必要になった。
しかし、空堀を広げると敵が掘底を自由に移動できるようになってしまう。
そこで、ギザギザ状の畝状空堀群や堀をこえても再び新たな掘に落ちる障子堀が登場した。
堀は戦術の歴史でもある。
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このように、見方を知ればいくらでも楽しめる。
私は城の姿から、かつての人々の戦いや暮らしを自然と感じていたのだと思う。
私は、城のことばを聴いていたのだ
書籍の後半では、まさに城から歴史の真実を明かしていく様が書かれていたが、それはまた次回紹介していく予定だ。
私が城を好きな理由を代弁したような
一節があったので、
最後にこの言葉で記事を終えたいと思う。
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