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年始の1月1日から4日間
ひさびさに故郷の北海道へ帰省をした。

コロナの影響やら仕事の都合で
いつ帰ろうか。いつ帰ろうか。
そんな問いに迷いに迷っていたら
前回帰省してから約2年と少し時間が経っていた。

ひさびさの家族は
僕が知っている姿といろいろ様子がちがった。

二世帯住宅だった実家には
他界した父方の祖母・祖父はやっぱりおらず
父と母がリフォームをして老後をすごす
まったくちがう家になっていた。

いつも駆け足で出迎えてくれていた
愛犬のウメもやっぱりいなかった。

実家近くに住んで親を見てくれている
妹の息子(甥っ子)は
もう幼稚園を卒園するくらいまで育っていた。
春にはランドセルを背負う小学生だ。
けど、幼稚園児らしく
ウ○コとチ○コと悪ふざけで言って
ケラケラ笑っているのは
いつの時代も変わらない。

大学生くらいだと思っていた従姉妹たちは
いつのまにか社会人になっており
ふだん自分が会社でみている
新卒メンバーと何ら変わらないことを知る。
(新卒世代からすると、僕はおじさんなのだ…)

そして83(歳)にもなる母方の祖母は
孫たちに少しでも元気な姿を見せようと
歩行器に体重をあずけながら
とぼとぼ、とぼとぼ歩いていた。
その姿には元気をもらったが
必死に無茶している様も全力で伝わった。
(ふだんは全く歩かないそうだ)

変わっていたのは家族だけじゃない。
地元の景色も変わっていた。

まちを歩くと、じぶんが産まれた
産婦人科がファミマに変わっていた。
少子高齢化の影響であることはわかりつつ
地方で学校が統合されるニュースと
こんなところで
心情的に重なるとは思ってもいなかった。
じぶんが産まれたり
育ったりした場所がなくなるのは
やはり、どこか寂しい気持ちになる。

他にも、高校生のときに学校帰りに通っていた
味噌ラーメン屋さんや
初めて付き合った人とよく行っていた喫茶店…
いろいろなものがなくなり、変わっていた。

もちろん変わらず存在していたモノもある。
けど、たった3年にも満たない時間で
ここまで変化が起きていることは
正直意外だったし
僕の想像力が及んでいなかった。
想像力の乏しさに、悔しくもなった。


いま「会いたい」を
我慢している人は正直多いと思う。

僕も今回は、ワガママをとおして帰省をした。

そんなワガママをとおして
「大切な人へ会いに行こう」なんてことは
声を大にして提案はできない。

けど提案できることがあるならば

その「会うとき」「訪れるとき」を
逃してほしくないということ。

僕は今回帰ることができて、よかった。
帰っていなかったら
取り戻すことのできない時間を
悔いることになっていたと思う。

いま家族や故郷にできることを
本当に知っているのは自分自身、
あなたしかいない。

世の中「守るために、会わない」という
空気であったとしても
それ一色に染まるのは少々気持ち悪い。

大人なんだから、リスクも承知の上、
行動に責任をとる覚悟の上の行動なら
「いってらっしゃい」で
まわりは見送るでいいと思う。

変わってしまう家族や故郷が
変わり果ててしまった跡をみるのは
つらかったり、さみしいものです。

化ちゃう、その前に。
旬を逃さないでほしいね。

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