プリキュアを語るためには、どこから語ればいいのか―青キュアの変遷―かれん、ひめ、ここねを例に

「ひとりぼっちを恐れない! それがヒーロー!」(『ひろプリ』5話より)
出演する番組と時代を間違えた、かのように観える青キュア、ソラ・ハレワタール=キュアスカイ。
ソラに連なっているであろう、青キュアの変遷について、『5』の水無月かれん、『ハピプリ』の白雪ひめ、『デパプリ』の芙羽ここねを例に、以下に記していく。

文武両道・生徒会長・学校の ”華”・家が裕福……。
変身ヒーローの草分けたる本郷猛……、もとい『5』の水無月かれん=キュアアクアより確立された青キュアキャラクター。例外もあったり、各要素が分散されるケースもあったりするが、ピンクに並ぶ定番カラーかつフォーマットであるといえる。
ハイスペック・恵まれた環境といった条件を有し得る者はそうそういない。ある種の孤独と重責を背負ってしまった、とも言い換えられるかもしれない。
一見、ソラが異端の青キュアに見えるかもしれないが、実はかれんの登場からその萌芽があったともいえる。

以下に、歴代青キュア(~『ひろプリ』まで)の特徴と思われる点を独断と偏見で羅列する(’23年 東映アニメーション監修『プリキュア20周年アニバーサリー プリキュアコスチュームクロニクル』講談社 では、ユニはレインボーに入っているが、独断で青にカウント)。

水無月かれん:文武両道・生徒会長・学校の華・家が裕福
蒼乃美希:勝気・完璧主義・学校の華
来海えりか:真正直・お調子者・ムードメーカー(文武両道・生徒会長は明堂院いつき)
黒川エレン:異世界出身・無垢への羨望
青木れいか:天然・文武両道・生徒会長
菱川六花:優等生・常識人(生徒会長は相田マナ、文武両道・家が裕福は四葉ありす)
白雪ひめ:王女・人見知り・臆病
海藤みなみ:文武両道・生徒会長・学校の華・家が裕福
立神あおい:情熱・自由・家が裕福
薬師寺さあや:優等生・学校の華(家が裕福は愛崎えみる)
ユニ:異星人・ディアスポラによる利害行動(文武両道・生徒会長・家が裕福は香久矢まどか)
沢泉ちゆ:文武両道・老舗旅館の跡継ぎ
ローラ:異世界次期女王・高飛車
芙羽ここね:優等生・高嶺の花・家が裕福・孤立(文武両道・生徒会長は菓彩あまね)
ソラ・ハレワタール:異世界出身・ヒロイズム・スポ根

必ずしも、かれんの要素が引き継がれてるわけではないが、概ね孤独・孤立・重責が描かれている傾向にあるといえる。

青キュアの端緒たる水無月かれんは、重責による一瞬の迷いから、プリキュアになれないシーンが描かれる。
「結局は、私がやらなきゃ、ダメみたい……」(『5』5話より)
学校生活からの役割の過多があった上に、プリキュアの戦いを目にしたことによるプレッシャーなどが伴ったことによって、”自分の意志” を明確にできず、変身者としての資格を一度は失ってしまう。
”運命” ”なりゆき” ”巻き込まれ” といった多くのヒーロー・ヒロイン作品に共通する変身のきっかけに対し、”明確な自分の意志が伴っているか否か” を変身の条件として掲げた、プリキュアシリーズの特徴となるシーンが、かれんを通して描かれる。
後のシリーズで変身不能が描かれるキュアは、『はぐプリ』のほまれ・はな、『ひろプリ』のソラ。ほまれ・はなは、失敗をきっかけとした自信喪失、ソラは関係者を人質にとられたことによる戦意喪失によって変身ができなくなってしまう。いずれにせよ、”自分の意志” が伴っていない点が引き継がれているといえる。

青キュアのひとつの転機といえるのが、白雪ひめ(その前に来海えりかによって ”青=真面目・優等生” を脱したところも重要な転機ではある)。
来海えりかを引き継いでいるとも言われるが、ストーリー序盤での人見知りぶりや敵前逃亡をしてしまう点で、キャラ全体においても特異であり、最も等身大なキャラクターであったといえる。
母国の国難、ひいては世界の危機に瀕するきっかけを(敵対勢力に唆されて)手助けしてしまう、一人の少女が背負うには重すぎる過失を負ってしまったがゆえに、プリキュアとして戦う意志は辛うじて残ったいたからか(?)、戦意がないような行動はとっていても、意志喪失によって変身が解かれることはなかった。
「頑張りたくても、どう頑張ればいいかわからない」「だって、怖いんだもん」(『ハピプリ』1話より)
責任を逃れたくても逃れられない、でも背負えぬものは背負えない、どうしようもない状況下に置かれた、10代のリアルな本音とその行動が、ひめを通して描かれている。
愛乃めぐみと出会う以前、重責と孤独に苛まれている時点においては、ある意味で青キュアを引き継いでいるともいえ(?)、ネガティブな本音を吐き出している点において、青キュアに等身大性が付加されたといえる。
また、めぐみらとの交流を通じて、優等生の側面が出てきたり、失敗とも向き合えるようになったり、戦闘でもヒーローらしくなってきたりと、”成長する青キュア” が打ち出されたともいえる。
シリーズ10周年として打ち出された『ハピプリ』において、”プリキュアにおいて描くべきヒロイズムとは何か” の答えの一つを、ひめに表徴させたのかもしれない。

もうひとつ、近年の大きなと転機といえるのが、芙羽ここね。
家が裕福、優等生で、学校でも一目置かれている点において、青キュアを引き継いでいるといえる。
一人で過ごすことに慣れており、人と関わることを億劫に思っていたという点では、シリーズでもあまり描かれてこなかったキャラクターであるといえる。『わんぷり』のユキ・まゆに連なってくるともいえる。
”誰かと話す・関わる” ”友達・仲間と協力する” ということが自明となりがちだったシリーズにおいて、”友達になるとはどういうことか” ”親しく話すとは何か” ということを掘り下げて描いたのは、ここねが初めてかもしれない(?)。家族との関わりにおいても、個食が描かれたり、話題もすれ違ったりなど、”普通に関わる” ということに戸惑う様子が描かれる。
”責任による孤独” ではなく、”慣習による孤立” から一人で行動し、一人で解決しようとする面が描かれた点において、従来の青キュアとも、ひいてはシリーズ全キャラにおいても、特異であったといえる。

”自分の意志”、 ”成長”、 ”慣習” ……。
自らに課した単身での修練によって拳法とPKを身に着けるも、人との関わりの不器用さが見え隠れする。
ソラ・ハレワタールは、青キュアの各要素を引き継いだ、20年のプリキュアシリーズにおいて検討されてきた ”ヒーロー” 像の答えであるといえるのかもしれない。かつ、それは本郷猛をはじめ、多くの昭和ヒーロー像とも重なる部分もあり、東映ヒーローからの要素も引き継いでいる、ともいえるのかもしれない。
ゆえに、”ヒーロー” がテーマとなった『ひろプリ』の主人公は ”青” であり、それは ”孤独・孤立” との折り合い方も隠れたテーマとしてあった、ともいえるのかもしれない。

ピンクと双璧をなすカラーの青。
前者はドジだけどコミュ力お化けの中空的英雄、後者は優等生で一人で抱え込もうとする統合論理的英雄として、概ね描かれていた傾向にあったといえる。ただし、シリーズごとに各要素が分散されていて、近年は特に曖昧になっているように思える。
ソラは終盤において、ヒロイズムを求めた果てに、半神半人となりかけ、暴走しかけた。
’24年現在放送中の『わんぷり』のこむぎ・ユキは当初から半獣半人。終盤、どのように描かれるのか、何らかのカウンターを望んでしまっている、ある中年。

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