娼婦が上手に坊主のジョウロをマス掻いた


この記事は下記記事の読書感想文です。


同い年の美人が娼婦のように毎日数多のマスを掻いているお話に、私はひどく気分を悪くいたしました。


彼女は処女であったそうです。


処女なのに毎日マスを掻く彼女は、それでも自分の貞操観念だけは守り、己のマンピースをひと繋ぎに縫い閉じたんだとか。それもまたひどく気分の悪い話でした。


男の醜さに嫌気がさしたのはもちろんだったと思います。しかし私はそれ以上に、彼女という存在そのものに対して異様な気持ち悪さを感じていたんだと思います。



その気持ちの初源とは、綺麗なものが侵されてしまっていることへの嫌悪感か、気持ちの悪い男を少なからずテリトリーに入れ込んでしまう彼女の弱さへの苛立ちか、そんな境遇を持ってしても男を受け入れている矛盾性に対しての不信か、全て当てはまっているようにも思えるし、的外れな気もします。


当記事の作者は、その女の子から「50歳になってもお互い独身だったら結婚しよう」とプロポーズをされたんだとか。私はその発言にも酷く憤りを覚えていました。

お前そんなんだから男が寄ってきてんじゃねぇの?


分からない、もしかしたら本当にその男性に対して心を許したのかもしれません。実際に彼女は6時間もおしゃべりをして夜を明かしたんだとか。彼女にとってその夜はもしかしたらマスをかかずに明かした初めての夜だったのかもしれません。

ただそれでも私は彼女のガードの甘さを許すことはできないのです。


お前自分から娼婦になろうとしてるやん


キモ男に「俺が彼氏だ、彼女を守るのは俺しかいないんだ」と勘違いさせてしまうのにはそれ相応の理由があるはずです。最初から突き放していれば彼氏と錯覚させることはないと思うのです。

男にちょっとでも希望を持たせるような言動を、彼女は悪循環の中で様々な男にしてきたんでしょう。「私変な男にばっかり付き纏われるの、、」という弱みの言葉が、男にとってどれほどの麻薬であるか。男たちはまたその弱みを見たくて躍起になるのです。弱みを見せてくれなくなれば、「なんで弱みを見せてくれないんだ!!」と牙をむくのです。


と、つらつらと自分の感想を述べましたが、私が最も嫌悪感を抱いていたのは、まさに自分自身のこのミソジニーだった、ということが今この段落で判明いたしました。私のこのミソジニーを引き出すような彼女に対する憤りは、ただの八つ当たりです。そんな己の暴力性(DV性)も、また自己嫌悪を誘発しているのだと思います。


最後に、この長ったらしい汚い文章を一文で、まとめ上げたいと思います。

あーあ、可愛い子としゃべりてぇなぁ。


です。


fin.


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