【雑記】高山理論──自分のスペックなんて無視しちゃえ!
なるべく高い山を登ろうとした方が、結果がよい。
今までをふり返ってみての、自分の感想である。
僕は、ひそかに心の中で「高山理論」と呼んでいる(そのまんまww)
いや、突然、偉そうに自分語りをしたくなった訳ではない。
いや、酔ってない。
フォローしてくださっているどこかの美人の気を引こうとかもしていない。
先日、ある人と飲んでいて、「私、すごい慎重派で進学・就職とかは、ほぼ確実に大丈夫と思ったところしか受けないんです」という話を聞いて、「僕は真逆」と答えたことがあった。
彼女は優秀で行動力のある人だったので、意外だった。
一方、僕は優秀でもなく行動力もないのだが、本当に真逆である。
そこで、相当酔っ払ったときにしか話さない(そして、誰も聞いてないw)、「高山理論」について、書こうと思った次第である。
★ ☆ ☆ ☆
僕は、自分の進路を考えるときは、いつもかなり無謀である。
自分のスペックなどは度外視し、かなり高望みをする。
例えば、僕の小学校のときの夢は「総理大臣」だった。
中学・高校の時は「社長」だった。
(社長といってもいろいろなのだが、子どもなので許してくださいw)
小学校のときは「村の神童」と呼ばれたのだが、中学・高校の時の成績は散々だった。高校 3年時の偏差値は、40を切っていた。
自分の興味のない授業の時は寝ているか、本か漫画を読んでいて、テスト勉強も全くしない、風変りな学生だった。
それでも全く意に介しなかった。
ひどかったのが大学時代である。
そのときの夢は、「国際ジャーナリスト」だった。
大人である今ならば、「なんてインチキくさい肩書き……」と思うのだが、その時はパレスチナ報道で名を馳せたトーマス・フリードマンに憧れていて、自分も将来、ピューリッツァー賞を獲るつもりでいた。
英語は全くしゃべれない。
それどころか、一番の苦手科目で、中学・高校時代はずっと赤点だった。
大学に入っても勉強せず、大学もろくに行かず、ナイト系のアルバイトばかりしていた。それなのに「俺、国際ジャーナリストになるから」とか、言っていたのだ。
確実にやばいやつである。
いや、幼少期に頭部に大きな外傷などを負ったことはない。
当時も今も、変な煙も吸っていないし、魔法のキノコもかじっていない。
☆ ★ ☆ ☆
あんまり書くと身バレするので詳細は省くが、幸運が重なり新聞記者になることができた。
周りに比べて明らかに能力が劣るので、入ってからは大変だったのだが、中高時代の成績と出身大学からは考えられない一歩になった。
その後、自分の将来イメージはどんどん変わっていった。
どれも「国際ジャーナリスト」に匹敵するような無謀なイメージばかりで、今のところどれも成功していない。
しかし、3回転職したがその度に収入も職位も上がっている。
(なぜか面接は得意w)
毎回、入ったあとは、優秀な人達ばかりの中に入って、とっても苦労する。
「あんなやつを入れて……、うちの会社にそぐわない」
「やっぱり学歴が低いやつは、能力も低い」
などと、陰口をたたかれることもしばしばである。
勉強しておけばよかった、少なくとも真面目に生きればよかったと悔やむこともある(すぐ忘れるがw)。
けれど、今のところ一応、右肩上がりではある(ちょっと自慢w)。
☆ ☆ ★ ☆
歳を経るごとに現実との折り合いはつけているが、まだ夢想している。
今の将来イメージは、次のとおりである。
田舎者感が満載で素敵なイメージ。
取りあえず 50歳くらいまでには道筋をつけたい。
もう一度言うが、酔ってないし、変な煙も吸っていないし、鼻から粉とか吸ってないw
(ちなみに昨年くらいから本業での大成功を 8割がた諦めた。けど、ノンフィクション系の賞はまだ狙っている。文学賞も諦めていない)
自分の客観視ができていない訳ではない(と思う)。
発想力と独自性などは多少あるように思うが、卑下する訳ではなく、能力は低いと思う。
だって、社会的成功を収めた人、いや、それどころか社内で何らかの成功を収めた人って、接してみると、ものすごい能力である。
見上げるようだ。とても無理。
ちなみに、経営力も商才も多分ないw
管理能力もなく、5人以上のマネジメントも無理である。
けれど、夢想をやめる気は一切ない。
多分、死ぬまで何かしら夢想しているだろう。
こんな経験を通じた自分の実感が、「高山理論」である。
自分の能力など考えないで、高い山を目ざした方がいい(死なない程度)。
だって、高い山を登ろうとすれば、途中で挫折してもある程度の高さまで行くことができる。
道は険しいし、酸素は薄いし、周りは練達な登山家ばかりである。
登っているうちに、おのずと鍛えられるだろう。
ケンシロウが強い敵と戦うたびに、どんどん強くなるイメージだ(古いw)
低い山を目指すと、頂上にたどり着いても、それほどの高さにはならない。
ならば、高い山を目指したほうが、結果がよいと思うのだ。
もちろん、小さな成功を重ねるというスモールステップも大切だし、頂上に上ることで「自己効力感」(これならできるという感覚)を高めることも大切な場合もあるだろう。
それは人それぞれである。
欲望がすべての原動力の僕には、この方法が合うというだけである。
☆ ☆ ☆ ★
僕は、自分の見た目でも「高山理論」を使っている。
40歳を超えるまでに、ジョージ・クルーニーになるはずだったのだが、おかしい、まだ全然イケてないし、東京03の角田さんのままである。なんか、骨格からして違う気がするが、50歳までの目標にしよう。人の失笑なんか、気にしない。
ジョージ・クルーニーだって、昔は全然いけていなかったのだ。
目指せば近づけるはずである。
ちなみに、男女関係でもそうだ。
自分に釣り合わない美人も、どんどんと目指すべきである。
美人は、みんなが躊躇して手を出さないので、意外にいけるときもあるというのが、これまでの経験上の考えだ。
(もちろん勝率はものめっちゃ低いw だって、角田さんだもの)
もちろん、自分に釣り合うような女性とも仲良くしよう。
そして、どんどん高めも目指すべきである。
やはり、そういう女性といると、こちらも磨かれるのだ。
基本的には、万物はすべてに認識のなかにあるという「唯心論」を信じている。世界はすべて自分の心の中にある。
ならば、その世界は自分が主人公であり、どうにでもなるものだ。
あ、合成錠剤とかも、飲んでないですwww