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【雑記】AV(アダルトビデオ)の社会学講座 第1回「僕とAV」
こんばんは、AVウォッチャー・AV社会学者のウラノです。
もとい、幼稚園生の時に祖母の家で叔母の裸を凝視し、小学校2年生の時に父の会社のスキー旅行に参加して、じゃれるふりをしてOLのおっぱいをパンチし、小学校5年生で生まれて初めてした万引きが「SM雑誌」だったというナチュラルボーン・エロのウラノでもあります(皆さん、書店さん、ごめんなさい……)。
こんな僕が初めてアダルトビデオを観たのは、中学校2年生の時でした。
◆アダルトビデオとの邂逅
30年ほど前、今からでは考えられないでしょうが、アダルトビデオは街中の自動販売機でも売られているものでした。商店街、道路脇など、至る所にそんな自販機がありました。
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田舎育ちの僕の通学路にも、アダルトビデオの自販機がありました。
あたり一面の田んぼのなか、砂利が敷き詰められたちょっとした空き地が道路脇にあり、そこが自販機コーナーになっていて、精米機、ジュースやカップラーメン、電池の自動販売機に並んで、エロ本(ビニ本)の自販機、そして、アダルトビデオの自販機があったのです。
僕はその空き地を何度、自転車で周回したことでしょう。
しかし、当時のアダルトビデオはとても高額で(1本1万円弱)、中学生の僕にはとても手が出ない代物でした。
「エロ本はもう飽きた。映像が観たい!」
(エロ本は買ってるw しかも白ヘル・ブレザー姿でw)
そう思いながら、僕は毎日、意味なく自販機の前を1、2度周回しながら悶々と通学していました。
するとある日、そんな僕の姿を神様が見てくださっていたのでしょうか。
自販機の脇に、茶色い紙袋が──。
見てみると、中には大量のビデオテープ! 10本はあったでしょうか。
ケースはなく、むき出しの状態でしたが、ラベルから間違いなくアダルトビデオ!!
「神様、ありがとう」と思いながら、家に持って帰りました。
その日の深夜、親が寝静まった後、リビングのテレビで観たのを覚えています。これが、僕とアダルトビデオとの感動の出会いでした。
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その後は、もちろん、その感動を友人たちと共有しました。
数か月後、友人の1人が、僕の貸したアダルトビデオを親に見つけられてしまい、学校で大問題になりました。親に問い詰められて「学校の友達に借りた」と口をすべらせてしまったのです。
しかし彼は、最後まで僕の名前を言いませんでした。男同士の友情です。
先生、PTAの皆さん、あの時問題になったアダルトビデオを学校で流通させていたのは、僕です。ごめんなさい。
中学校3年生になると、アダルトビデオの相互流通が始まりました。当時の私たち「猿男子」にとって、アダルトビデオは「貨幣」と同じ価値を持つものでした。
それぞれが「兄からもらった」「父親の部屋の押し入れから発掘した」「ごみステーションから拾った」などによって入手した「貨幣」を交換するようになりました。交換経済の誕生です。
◆初めてのレンタル
高校生になり、初めて正規の市場(ホワイトマーケット)でアダルトビデオをレンタルしたときのことを覚えています。
当時はレンタルビデオ市場が大活況。TUTAYAなどの全国チェーンはまだ黎明期で、小規模のレンタルビデオショップが主流でした。最寄駅(といってもバスで20分)のある小さな隣町ですら、個人経営のレンタルビデオショップが数店舗ありました。
最寄駅の裏通り、商店街から外れた豚さんマークのレンタルビデオショップは、映画のセレクトがしゃれていました。僕が好きだった欧州映画、アジア映画、カルトムービーなどの品ぞろえが豊富で、経営者のセンスが感じられました。
そして、店の奥の暖簾で仕切られたスペースには、アダルトビデオコーナーがあり、大量のアダルトビデオが置いてありました。店の三分の一ほどの空間を使う力の入れようで、経営者の映画に対するものと同等のエロへの情熱を感じました。
何度もそのスペースに足を運びましたが、「借りる」決意を固めたのは、高校1年生の夏。世間では水不足が問題となっていた、熱い夏でした。
意を決した僕は、フランス・西ドイツ合作映画でカンヌ国際映画祭監督賞(1987年)、ブルーリボン賞(外国作品賞、1988年)を受賞した『ベルリン・天使の詩』と、マカロニウエスタンの巨匠、セルジオ・レオーネの遺作になった『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1985年)の間に、2本のアダルトビデオを挟み、緊張に手が震えそうになるのを抑えながら、レジに向かいました。
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高度な芸術性が今も評価される『ベルリン・天使の詩』と、通好みのマフィア映画の名作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の間に挟んだのは、「俺はエロだけじゃない、映画のセンスもある。だから分かってくれ!!」という、僕なりのメッセージでした。
レジにいた、当時50代くらいの男性店長(多分、経営者)は、『ベルリン・天使の詩』のバーコードをピッとした後、めくって出てきたアダルトビデオを見て、一瞬、手を止めました。
ドキドキドキドキドキドキ……(@_@)(@_@)
ほんの一瞬でしたが、この瞬間の長かったこと。
すると、店長は僕のメッセージを受け取ってくれたのか、顔を上げることなく、再び手を動かし、淡々とバーコードをスキャンしてくれました。
「受容」の瞬間です。
内心、飛び上がるほどうれしかったですが、僕は多分、顔を真っ赤にしながら、財布を出しました。
借りたのは、一般作品を含めて4本。つまり、アダルトビデオは2本です。作品は覚えていません。
後は顔を上げずに会計を済まし、逃げるように店を出たのを覚えています。
その後は、この店でアダルトビデオを借りるのにも慣れ、制服姿でアダルトビデオだけを、しかも女性店員がいるレジで借りることができるまでに成長しました。当時は、コンプライアンスが今よりもずっと緩い、いい時代でした(その分、危険もありましたけどw)。
* * *
さて、僕が初めてAV(アダルトビデオ)を観てから、30年以上が経ちます。僕はどれだけAV作品を観たのでしょうか。概算ですが、5,000は下らないように思います。10年ほど前からは、オンラインによる配信や購入が当たり前になり、視聴システムやデバイスは変わりましたが、今もAV動画を見続けています。
これだけAV作品をウォッチしてきて気づいたことがあります。
それは、AV作品における男女の関係の在り方が、時代によって大きく変化していることです。
次回は、それを掘り下げてみようと思います(続ける気かw)
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