上書き
※センシティブな内容を含みます。
「お2人のどちらかと、セックスしたいです」
彼女の澄んだ瞳が、逆に怖さを感じさせる。
闇は突き抜けると、透明になるらしい。
澄んでいるが、奥には何も見えない。
だが、典型的な破滅の道を歩んでいない分、彼女には救いがあるような気がする。
隣では、サトルがドギマギしていた。
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大学時代の友人が東京に出てきたということで、2人で飲んだ。
西新宿のカフェバー。初見の店だ。
2人でカウンターに座ると、奥に若い女性が1人でワインを飲んでいた。
黒いソフトリネンのワンピースにオフホワイトのカーディガンと地味めな服装だが、ルージュ色の革のパンプスとショルダーバックが目立つ。
色白のシンプルな顔立ちに、黒髪のショートボブという、1人で飲むのがあまり似合わない普通の女性だった。
彼女のつまみは、ゼッポリーネ(ピザ生地に海藻を練り込んで小さく丸めて揚げた物)とカプレーゼ。
それを見て自分たちも磯の香りを嗅ぎたくなり、ゼッポリーネとサラミを注文した。
友人(サトル)と30分ほど思い出話をしたあと、何となく彼女も混ざって3人で飲むことになった。
29歳で、保育士をしているという。
若い保育士さんらしく柔和で優しそうな雰囲気だが、どことなく影がある。
きれいな目が印象的だが、少し空虚さを感じる。
いずれも、サトルには分からない程度のものだ。
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3人で小一時間くらい飲んだだろう。ワインが2本、空になった。
ここまで来れば、2人とも下心がある。お決まりの恋愛話に進む。
順に最近の恋愛を話して、彼女(ももさん)に恋愛話を振ると、彼女は少し黙った。
場の空気も、少し変化している。
「私、恋愛はできない女なんです」
「え…? なんで?」
「穢いから…」
「キタナイ…?」
また少し、彼女が黙る。
すでに奥のボックス席に移動したのだが、今の瞬間、ここだけ別世界のようになっている。
周りが暗くて、何も見えない。
「私、レ〇プされた経験があるんです…」
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その後、彼女がぽつりぽつりと、しかし止めどなく口にする話をかいつまむと、こういうことだった。
高校生のとき、下校時に知らない男にレ〇プされた。
それから自分が穢いと思うようになり、性癖も歪んでしまった。
愛のあるセックスをすると、心が苦しくなる。
乱暴にされたり無理やりされないと感じなくなっている。
でも、そんな自分が嫌で、死にたくなる。
だから、しばらく性的なことはしていなかった。
そんな自分を変えたいと思っている。
そして、息を飲み、彼女は言った。
「お2人のどちらかと、セックスしたいです」
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彼女の話を聞き、僕は違和感を覚えた。
「乱暴にされたり無理やりされないと…」と言った彼女の言葉に少し高揚感がある。
また、レ〇プ以外にも、障害者のふりをした男に連れて行かれそうになったり、痴漢によくあったりしたという経験を話すのだが、その話は本来加える必要がない。
彼女の根底に被虐願望が染み付いている様子がうかがえる。
レ〇プは心の殺人であり、被害を受けた多くの女性が心的外傷後ストレス障害 (PTSD)に苦しむ。
そのうち一部の女性に、性の歪みをもたらすことがある。
心の苦しみの原因であるはずの被虐体験を、心の奥底で求める構造が生まれてしまうのだ。
こういうケースの場合、同じような被虐体験で「上書き」する必要がある。
彼女は「自分を変えたいから、セックスしたい」と言っているのだが、本当のところは普通のセックスではなく、いたぶって欲しいと願っているはずだ。
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彼女の体を見ると、抱き心地のよさそうな体をしている。
顔も好みのタイプではある。
これまでの彼女の話を聞くと、こういった女性にありがちな身の落とし方はしていなさそうだし、そんな雰囲気もまとっていない。
悩んで女性用風俗を利用したがダメだったというくらいだから、危険なセックスはしていなさそうである。
僕も昔SMクラブに通ったくらいだから、加虐願望がある。
こういう場合の「上書き」はソフトランディングをさせなければならないうえ、最初に満足をさせなければならない。
自分にその力があるかは少し自信がない。加虐プレイ自体なら、別の友人のトオルが上級者だが、あいつはダメだ。ソフトランディングさせる心がない。あいつは女を物としか思っていない。
そんなことを考えていたが、ふと気が付いた。
この後、別の外せない用事があったのだ。
残念──。
すると、サトルか。しかし、こいつはサッカーをやるくらいのやつだ。
昔からサッカーをやるやつは、単純と決まっている。
隣を見ると、サトルはすでに衝撃から立ち直り、顔をギラつかせていた。
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店を出て、家路を急ぐ。
オンラインで少し打ち合わせをして、企画書を明日までにまとめなければならない。
家でパソコンに向かっていると、彼女からLINEが来た。
サトルが席を外した時に、交換していたものだ。
やはり、サトルでは難しかったようだ。
自分でも難しいと思うが、シンプルで明るいサトルには無理だろう。
今日の用事がなければ自分が行ったのに。
しかし、最後のLINEにしては長すぎる。
そこで返事をしてみると、案の定、返事が。
それから何度か長文のLINEを往復し、いったん最後とした。
長く続けるものではない。もし向こうからまたLINEが来たら、それが答えだから。