【雑記】ディオール広告の「小さな目」の写真への批判をどう読むか
◆BBC NEWS「ディオールの「小さな目」の写真に批判、写真家が謝罪 中国」
(BBC NEWS 2021年11月24日 https://www.bbc.com/japanese/59399099)
こんなニュースに目が止まり、中国で批判されているというディオールの広告写真をよく見てみた。確かに、これは批判されても仕方がないかなとは思った。欧米人が抱く「不気味な東洋」そのままの、奇怪な写真である。また、「小さな目」は、黄色人種に対する代表的な差別表現である。
しかし、よく記事を読むと、撮影したのは陳漫(チェン・マン)さんという、中国北京出身の気鋭の若手写真家だという。40代の内モンゴル自治区出身の女性で、世界的にも著名な人らしい。すると、話が変わってくる。
彼女の作品をみると、このような女性表現は代表的な作風のようだ。
(チェン・マン https://www.pinterest.cl/pin/583427326716504096/)
現代の価値観からみれば「奇怪」かもしれないが、なぜ、これが「奇怪」で「不気味」に見えるのか、というところを考える必要がある。
◆なぜ、あの写真が「奇怪」に映るのか
私たちは欧米の価値観に染まっている。私たちの美意識は、欧米の白人が基準になっている。私たちが考えるアジア系の「美人」は、欧米風の美人なのである。
そう考えると、確かに19世紀の日本、中国、朝鮮の貴族女性や宮廷女官の写真などを見ると、首を傾げたくなることが多い。これは現代の私たちの価値観が変わっているからである。
陳漫(チェン・マン)さんが、この部分を突いて、あのような女性の作品を多く撮影しているかは分からない。
しかし、欧米風の美意識とは反する、
「小さい目、浅黒い肌の何が悪い! これこそ、美しい!」
という叫びの表現のように思える。
これは、1960年代アメリカの黒人解放運動のスローガンであった
「ブラック・イズ・ビューティフルBlack is beautiful(黒こそ、美しい)」
に通じる、叫びである。
確かに、私たちに刷り込まれている一般的な美意識をいったん外に置き、無心に彼女の「奇怪な東洋風の女性たち」の写真を見てみると、独特の「美」があるように見えてくる。
これなら、彼女の作品のなかでもあえて「奇怪」に見える、あの写真を持ってきた意味も納得である。
◆なぜ、それほど批判されるか
ただし、数十年前の欧米崇拝から比べればかなり変化しつつはあるにせよ、現在の東アジア人は、欧米文化やその価値観を好み、まだまだ若干の欧米コンプレックスを引きずっている。
そのうえ、コロナ禍によって欧米でのアジア人蔑視が強まっている時期である。しかも、中国対欧米という文明対決の様相が強まっている。
その文脈のなかで、あまりにもタイミングが悪かったし、出した作品が強烈すぎた。
ちょっと時機を間違ったと思う。そして、前衛過ぎた。
多分、ディオールも、撮影者が中国人だからと、何の心配もしなかったのではないか ──。
「ブラック・イズ・ビューティフル」時代の公民権運動の活動家の表現を使えば、東アジア人はまだまだ「覚醒していない」。
◆男性上位社会の性的歪み
──── と、ここまで書いておきながら、今回、書こうとしているのは、全く別の話なのである。
このディオールのニュースを見た後、いろいろネットサーフィンをしているうちに(仕事しろw)、欧米人がアジアに奇怪な思いを抱く原因の1つに「偏狭な父権的文化」があるという話にたどり着いた。
そして、これはウィキペディアの「ポルノグラフィ」の項目からの引用だが、このような説明を見つけた。
「東アジア・東南アジア人が日本のポルノに夢中になる理由として、日本のポルノ産業が巨大で影響力が強いからである。世界的人気となっている「ヘンタイ」や「アニメ」といったジャンルは日本発祥である。もう1つの理由は、この地域の大国である中国でポルノが生産されていないことである。香港中文大学准教授のカトリーン・ジェイコブスは、「中国と日本の文化には、性的快感に対する『偏狭な父権的態度』という共通点がある。おそらくこれが、中国人男性が日本のポルノを好む理由だ。無邪気で純粋といった女性像は、欧米のポルノにはあまり見られない」と考察している」
「偏狭な父権的〇〇」という言葉が、また出てきている。
確かに、日本のポルノグラフィは、あまり「自立した女性」を好まない。
アダルトビデオにせよ、登場するのは、男性にいいようにされる従順な女性か、男性の性的欲求を満たそうと奉仕してくれる痴女ばかりである。
また、日本の、わざと幼さをアピールしたアイドルたちや、メイドをはじめとするロリコン文化などはまさに「偏狭」で「父権的」の変態バージョンである。
(https://medibang.com/picture/3z2009051454466290004600947/?locale=ja)
僕は、昔からロリコンが苦手で、歌舞伎町を歩いていても、コンセプトカフェのメイドさんに声をかけられると、つい顔をしかめてしまう。このような日本のロリコン文化は、ちょっと世界に対して恥ずかしく思う。
◆自分のなかに「その歪み」はないか
ロリコン文化は於くとして、自分のなかに「偏狭」かつ「父権的」な性的志向がないかといえば、そうではないと、今日の昼休みに気がついた。
会社の近くに新しくスーパーができて、今日、買い物に行ったのだが、見慣れない30歳くらいの女性の店員さんがいて、制服のエプロンを着用し、頭に三角巾を着けて、慣れない手つきで商品を並べていた。
色白で細身、少し色気があって、僕のタイプである。主婦のパートだろうか、それともアルバイトだろうか──。
ここで、僕が「そそられた」のには、訳がある。
彼女が、スーパーの店員さんという、こう言っては大変失礼だが、自分より下と思える立場の女性だからだ。
だから、街中で見かければ、それほど注目しなかったかもしれないのに、「そそられた」のである。
よくよくふり返ってみれば、定食屋・蕎麦屋などの店員、清掃員、ハウスキーパーなどに、少し美人な女性がいると、過剰に注目してしまう。そして、つい「エロい」と思ってしまう。
旅館の仲居さんもそうである。地方の雑貨屋の店員さんなどもそうである。
どうやら、少しさびれた印象を抱かせる場で働く美人に、性的興奮を覚えてしまうようだ。
秋葉系メイドは嫌いだが、女給の格好は大好きである。
仲居さん風の地味な着物も大好きだし、モンペも好きだ。
もちろん、このような「立場が下と思える」女性だけが好きなのではなく、いろいろな性的興奮の対象の一タイプということではある。しかし、こんな僕でも、やはり男性上位時代の名残が、性意識にまで刷り込まれているだと、改めて考えさせられたのである。
※羊頭狗肉ですね。時事に乗っかったらバズらないかなーと思って、ちょっと無理やり書きましたw
※最後の写真は、イラストACの無料素材です。