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ぼくがADHDを知ったとき

ADHDと診断されるまでの経緯は人それぞれ違う。特に大人のADHDというのは外から見て明らかな異常はなく、症状も甘えや怠惰として捉えられることが多いため、発覚が遅れやすいのだ。

そんな僕は周囲に言われたわけではなく、自分で疑いを持ち、精神科に相談して診断された。

元々内向的で自分に興味が向いているため、周囲に比べて異常なことには敏感だった。しかし、発達障害という言葉は知ってたものの、まさか自分がその中のADHDであるということは思わなかった。

僕がADHDかもしれないと疑いを持ったきっかけは「耳の悪さ」だった。

通常、人間の耳は優れたもので、雑音と必要な情報を聞き分ける、いわゆるカクテルパーティ効果が働く。

ザワザワした環境でもなんとなく、相手の声が聞き取れちゃうという、あの現象だ。

僕は雑音のある環境下では、相手が何を言っているのか聞き取ることが難しい。空耳はしょっちゅうあり、友人などであれば笑い話だが、アルバイトなどでは非常に困った。

また、音は聞こえるけど言葉として聞こえないということもよくある。もう一度お願いしますと聞き返すが、聞こえない。これで相手を不快にさせてしまうのではないかと怖かった。

イヤホンで音楽を聴きすぎて難聴になってしまったのではないかとか、色々調べてみたがあまり当てはまらないことが多く、頭を抱えていた。

しかし、調べていくとカクテルパーティ効果が働きにくい人がいるらしい。カクテルパーティ効果は選択的聴取とも言うが、これが出来ないのが発達障害と関係があるという論文?か記事を見た。

そこで発達障害について調べ始めた。症状を見ていると自分の過去のエピソードが頭を駆け巡った。そして、1年間自分を観察し、疑い、悩んで精神科にかかることを決めた。

自分はこの耳の悪さで悩まなかったら、発達障害だと気付くことはなかったのだろうか。もしそうだとすれば、社会に適合できずひどい二次障害を抱えた頃に知ることになっていたのだろうか。診断が下りたことは幸が不幸か、今日も僕は生きていく。

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