優しさひとつ
私はジョークのつもりで話していても、捉える側にとって受け取り方が違うからうまく伝わってないこともある。
特に、子供と話している時はそういうことが多い気がする。
たまに通る陸橋のお話。
人通りが多く、自転車もよく通る。
自転車とぶつかる事故も多々あるみたい。
だから、警察署もきちんと看板にして警告している。
「自転車はおりてわたりましょう」
正直、看板を見かけることはあるけど、内容をしっかり見るのって自分にかかわる事だと真剣に見て内容も入ってくると思う。
何気ない看板はスルーしがち。
だから、この注意看板もスルーされてるんだと思う。だからと言って、ここに誰か立っているわけもいかないし、余計な人件費だと考えてしまう。
それに、権限がないと注意したところで効果はないのではと考える。
どうせ町の団体だから取り締まる権限がないだろうとか、警官じゃなきゃいいよねっていう感じだったり。
取り締まると考えるなら権限は与えないといけないと思う。そう思っても簡単じゃないことはわかっている。
全て人々の気持ちと優しさが必要なんだよね。
だからというわけじゃないけど、私は子供に質問された時にジョークと優しさを混ぜて教えるようになるべくしている。
看板を見て無視している人には
「漢字と日本語が読めない人なんだよ」
子供はすぐにこう言ってきた。
「大人なのに?」
「言葉のお勉強はしていても、都合よく忘れちゃう人もいるんだよ」
「へ〜、変なの」
そうだよね。
都合よく忘れるなんて変だよね。
でも、その気持ちいつか分かる時がくると思うよ。
人は行動をした後に言い訳や行動に対する名目をつけたがるものだから。そこはそっと優しさで目をつむってあげて欲しい。
「◯◯ちゃんはちゃんとできるよ」
「そうだね。◯◯ちゃんは良い子だね」
今はまだこのままでいてもらいたい。
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