友達を作る
朝、年下の男の子から連絡があって、少しSkypeをしてもらえないだろうかと言う。わたしは男の子と話をした経験があまりないので――「やりとりをしたこと」はあるけれど、裏庭に腰かけてじっくり話をした経験があまりないので、気が進まないのだけれど、応じる。わたしは彼に多少の友情と、それなりにたくさんの愛着を感じている。できるだけ早ければいつでもいいというので、わたしはその日の午後、日暮れ前を指定する。話をするのに一番適した時間は深夜だけれど深夜は心の距離が近すぎる。日暮れ前は二番目にいい。なんとなくぼんやりと、なんてことないことのように、センチメンタルになれる。
彼は声を聴く限り実際参っていて、けれど参っているということを、どうも認めたくないようなのだった。三十分ほど話を聞いてわたしは言う。「つまりそれは寂しいんでしょう」
生まれてから百回くらい繰り返した言葉だ。人生相談というものは大まかに言って、「つまりそれは寂しいんでしょう」とそれ以外、でしかない。もちろん寂しいの内訳にはいろいろなものがある、恋人が欲しい、友達が欲しい、家族が欲しい、独り寝はいやだ、あの人はわたしより友達がいる、昔裏切られた思い出が忘れられない、前提的な愛を与えられなかった――
わたしは言う。
「前提的な愛というものはこの世にたったひとつだって存在しません」
言い過ぎだ、と自分でも思う。たったひとつくらいはあるかもしれない。でも「ある」なんて思わない方がいい程度にしかないし、もっと言えば、それを期待して生きてはいけない。それが得られる瞬間があるとしたらそれは単なる事故だ。きれいな言い方をすれば奇跡だ。
「親だって、女の子だって、動物だって、別に前提的に愛するわけじゃない、親は産んだ以上義務が発生するから、そして大多数の人がどうも本能的にこれを養育しなくてはならないという感情を抱くものらしいけれどそれを抱くことができない人だっている。あたりまえにいる。恋人が欲しいというけれど、女の子は別に愛するための機能を搭載した生き物じゃない、どうも女性として生きる上で男性より少し、処世術として適当な嘘をついたり聞き流したり黙って支えたりちょっとしたことで自分にご褒美を与えたり人に泣きついたりする能力が発達しやすいだけじゃないかと思うし、男性でもできる人はできる。育った環境による。もちろんペットに懐かれるかどうかは躾やペットの性質や信頼関係次第だし、前提的な愛というのは存在しません。ある日空から降ってきた女の子に愛を打ち明けられるシチュエーションはあり得ないし、あり得たとして、愛以外何も持たない彼女とともに生きていくのは相当大変です。無償の愛はない、あったとしても、それは、めちゃくちゃ邪魔な荷物で、無償の愛を傍らに生きていくのはすごく大変だよ」
みたいなことを、まあ、全部は言わないけれどもちょっと言う。男の子が納得したかどうかは知らない。
「寂しいなら友達を作ればいいんだよ」
わたしがパソコンのモニタに向かってそう喋っている間、同居人は、パソコンを腹の上にのせて、まるで機械の一部分のようにじっとしていた。そうしろと言ったのは彼女だ。いや、実際には言っていない、寝そべってノートパソコンを抱いていたものだから、冷たくないの、それ使うよと言ったら、無言で腹の上で開いてみせたので、わたしはパスワードを叩いてSkypeをはじめたまでだ。銀色のDynabookは彼女が着ているシャツワンピースによく似あった。シャツワンピースなんて持ってなかったはずだけど。いつ買ったんだろう。
「友達の定義」
夕暮れが深まってそろそろと夜が近づいている。わたしは買い物に行かなくてはならないのでSkypeを切り上げて立ち上がる。彼女はパソコンをぱたんと閉じて元通り腹の上に抱えている。ひやりとした銀色を撫でながら、彼女がわたしを見上げている。
「友達の定義」
わたしは応答する。
そういう仕組みの機械みたいに。
「寂しいときそばにいる。話を聞く。楽しいことを打ち明けて、できれば一緒に楽しんでもらえるか、楽しそうでなによりだと言ってもらう、もちろんこっちも言う。人生について話し合ったりしてみる。寂しいよって言ったら寂しいねって言ってくれる」
「もちろんそれが全てではないけどね。違う形の友情もあるでしょう」
「いい定義」
彼女はごく浅く口の端を持ち上げる。
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