王国で会いましょう(1)
「ねえ、それ、旧型キャップレスじゃありません?」
いいにおいのする女の子、というものに気後れをするのは年を経てからも変わっていなくて、同じエレベーターに乗ってしまったのが運のつきだと思っていた。非の打ちどころのない美しさでわたしの傍らにたたずんでいる彼女は、しかしわたしを見て、ぱっと笑顔になった。
塔の上のお姫様のお眼鏡に叶ったのは、わたしの胸ポケットに刺さった万年筆だった。
「え、ああ、はい。六十年代です」
「すごい! 実物ははじめて見ました」
さすがお姫様は益体もないものに詳しいなあ、とわたしは思っていた。胸ポケットに差したお気に入りのペンを差し出しながら、このまま、差し上げますよ、と言ってもいいかなあ、とすら思っていた。秘書のなかで一番美人だけどなんかとりつくしまがない感じするんだよなと同僚に言われている彼女はしかしその時無邪気な子供のように笑っていて、いいよいいよ、あげる、と言ってしまいたくなるような顔をしていたのだ。
「触ってみます?」
「いいんですか」
「どうぞ。書くもの持ってなくて何ですけど」
「失礼します」
万年筆オタクはみんなそうだけど、彼女は壊れやすいものを扱う手つきで、丁寧にわたしのキャップレスに触った。
「やっぱり現行品より旧型のほうがいいですよねえ」
「そのへんはあんまりわからないんですけど、それ、三島由紀夫が使ってたっていうやつで……」
「お好きなんですか」
「そんなの買っちゃうくらいには……」
「わたし、まだ、アガサ・クリスティ迷ってるんです」
そこでわたしの降りる階だった。わたしは、開いた扉を前に、あ、と、間が抜けた声を出した。殺伐とした空気がエレベーターの中まで漂ってくる。いやだいやだ。最後にきれいなものを目におさめておこうと、わたしは緑色の万年筆を手にした彼女を振り返った。もう受け取る気がほとんど失われていた。持つべき人のところに行ったんじゃないかとすら思ってしまった。だから彼女がわたしにむかってそれを差し出している図がよく理解できなかった。
話の途中で中座する形になってしまった彼女は、手帳を開いていた。うわっスマイソンだ。ぺりっと軽い音がして、そして閉じかけているエレベーターのドアから、例の、フェザー・ウェイト・ペーパーとわたしのキャップレスが差し出された。有名なアニメのワンシーンのようにわたしはそれを受け取った。
「王国で会いましょう」という言葉を持ち出したのは、その日の夜のことだ。
会社の近くの小さな喫茶店でわたしたちは待ち合わせて、酒は抜きで話をした。キングダムノートで買ったのだと言ったら、彼女は、キングダムノートに行ったことがないと言った。彼女のヴィンテージモンブランはおばあさまから受け継いだもので、スマイソンの手帳もおばあさまが毎年送ってくださるのだという。本物のお嬢様じゃねえか。にこにこと笑う彼女はしかし、「お仕事ではメトロポリタンエッセンシャルを使っています」と言った。
「出る杭は打たれますから」
にこにこ笑って言った彼女にわたしはたいへん好感を持った。
「じゃあ、いつか、存分に出る杭として」
そう言ってしまったのは出過ぎた振る舞いとは言えまい。
「王国で会いましょう」
三島由紀夫のキャップレス(今見たらソースが見つからなかったので関連ブログを……)
ここから先は
¥ 100
気に入っていただけたらサポートいただけるとうれしいです。